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【ミステリ小説】セイレーンの謳う夏(10)

(本作の短編バージョン「夏の終わりのマーメイド」は完結していますので、ラストを知りたい方はぜひ! )

(あらすじ)民宿兼ダイビングショップ『はまゆり』でバイトする(顔のない)ぼくは、お客さんが不思議な生き物と遭遇したことを知る。
 『はまゆり』美人姉妹の妹、夢愛(ゆめ)さんは鋭い推理力の持ち主。ぼくはそんな夢愛さんが、駅前で男と言い争うのを目撃する。
 
 八月の最終金曜日午前――
 翌日の金曜日は、龍ヶ崎で行われるダイバーズ・フェスティバル準備のためぼくらは、「遊泳監視」、「水中ゴミ拾い」、「駐車場の整理」のどれかを担当することになる。

 物語は、3つに別れたぼくの視点で語られる。

 「遊泳監視」を担当したぼくは、龍ヶ﨑突堤に駐まっている不審な車を調べに向かう。 
『カモメ荘』バイトである「もーやん」と共に車のところに行き、車内に倒れている人を見つけた。
  
 しかし、救護員を連れて車に戻ると中の男は消えていた。

「水中ゴミ拾い」を担当したぼくは、自分の病気である「相貌失認」について思いを馳せる。 
 潜りながらゴミ拾いするぼくの耳に、携帯プレーヤから助けを求める声が聞こえ、ぼくの目の中に、人魚の姿が飛び込んできた。
 

 くじ運の悪いぼくは「駐車場整理」に割り振られた。 
 その後夢愛さんと遭い、モノフィンを使って海を泳げば、脚の悪い夢愛さんでも、短時間で湾を行き来できるトリックを見抜いた。

 3つの視点から得られた情報から、物語の謎が解かれていく。

 8月最終金曜日、ぼくは夢愛さんに請われて、彼女のお母さんの
お墓参りの運転手を務めた。
 その帰り道、竜ヶ崎神社に立ち寄ったぼくたちは、ドローンを見た。
 ぼくはドローンの操作者が、盗撮を目論んでいたことを見破る。再度沼の上を飛ばせたドローンには、あるモノが映し出された。
 事情聴取ののちに『はまゆり』に帰ったぼくらは、お客さんのひとりが失踪したことを告げられる。

(見出し画像はPixabayより)

6 人魚の失踪

 八月の最終土曜日――
 野々宮みさを、牧島友加里、塚本梨夏といのが、三人娘の名まえだった。牧島さんが、「まぁちゃん」なので、あながち本名からも外れていない。
 塚本さんが「キャリー」だ。
 みなぼくと同学年で、十九か二十。今年の成人式で再会というありがちなパターン。

 翌朝になっても、行方不明の野々宮さんは行方不明のままだった。日本語がおかしい。少し動転しているのか?
 まぁちゃんたち三人娘は、ツインの部屋に簡易ベッドを持ち込んだ急造の三人部屋に、週末三泊の予定で宿泊していた。
 三人目さんこと野々宮さんは、昨日午後のダイブをスルーして休んでいたはずだが、ふたりが帰っても部屋にいなかった。

「気分がすぐれない、って。あの日かなって思ったりもしたんだけど」
 部屋に居なかったが、荷物もそのままであり、どこか出かけたのかと思った。
「すぐ携帯に電話してみたのだけど・・・・・・」
 留守電になっていたらしい。夕食の時刻にも帰ってこないので、皆であたりを調べて回ったがなんの収穫も得られなかった。

 秋月店長をはじめぼくらは、朝食のあと食堂で顔をつきあわせて相談した。
「荷物は全部置いてるようね」
 ダイブギアはレンタルだったが、ウエットスーツやマスクなどの三点セットは自前だ。水着やバスタオルなどの濡れたものが、洗って干したままにしてある。

「直前に何か変わったことはなかった? ケンカしたわけじゃないの?」
 ふたりは首を横に振った。
「似たようなことが、前に一度あったよ」
 御子柴さんが言った。
 新婚のカップルが、ダイビング講習に来たときのこと。ふたりともビギナーではなく、ある程度の経験があり、上級ライセンスの取得を目指していた。

 趣味のダイビングを通して知り合った、とのことでアツアツだったのだが、  
「バディー・ブリージングの訓練をしたのが、まずかったな」
 バディー・ブリーズとは、バディで潜水したとき片方のレギュレータが故障して機能しなくなった際に、ひとりのレギュレータを互いに使い回して呼吸することをいう。
 簡単そうだが、いざ海中でやると恐怖感がハンパないため、信頼し合っている者同士でも、レギュレータの取り合いになることがあるそうだ。

 新婚だし互いに信頼が篤いだろう、と実際の事故を想定して、片方のボンベを海中で外した。
 水深十数メートル程度。素潜りでも潜行できる深さだ。
 ただしレギュレータで加圧したエアを吸っているので、ゆっくりと浮上しなければ潜水病になってしまう。

 水圧に抗して加圧したエアが血中に溶け込んでいるため、急に浮上して常圧になると血液中で気化してしまい、エアー・エンボリズム(空気塞栓)という重篤な障害を起こす。
 事前にこのことをレクチャーされていたので、奥さんがパニくってしまった。旦那のレギュを奪い取って、渡そうとしなかったらしい。
 旦那が力尽くで奪い返す。奥さんも必死で抵抗する。

 結局、御子柴さんが自分のオクトパス(予備のレギュレータ)を急いで渡し、無事浮上したが問題はエキジットしたあとだ。
 互いに不信感を抱いて、口をきこうとしなかった。その日のうちに、奥さんが姿を消して実家に帰ったという。

「即、離婚したらしいね」
 御子柴さんが何の感慨もない風情で言う。あなたが原因で一組の夫婦関係が崩壊したのに。
 今回はケンカなどなく、思い当たるふしもない、とふたりは言った。

「確かに体調が悪そうだったけど」
「あの日?」
 男がいやらしく言うとセクハラです。店長!
「あら」
「財布と携帯は?」
 確認してみないと。
「非常時だし、仕方ないでしょ」

 ふたりにキャリーケースの中を見てもらったが、キャリーこと塚本さんが「ないみたい」と答えた。
「ハンドバッグがなくなってる」
 ブランドもののバッグに、財布や貴重品をまとめて入れていたそうだ。
「彼女のスマホに電話してみたんだけど、留守電のままだった。ラインは既読になってない」
「メールにも返事がない」

 まぁちゃんも心配そうだ。
「自宅の方には?」
 彼女は実家を出て、市内にある会社近くの賃貸マンションを借りているらしい。実家のほうには帰っていない、との返事だったそうだ。
 一応事情を告げ、何かの連絡があったらこちらにも回してもらうよう依頼してもらった。
 御母堂は却って恐縮した様子で、「ご迷惑おかけして」と言っていたとのこと。心配だろうに、出来たご両親だ。

 財布と携帯がないが、荷物は置いたまま。
 すぐ帰ってくるつもりでここを出て、なにか帰れない事情が生じたか、あるいは急いでどこかへ行く必要性に迫られたか。
 いずれにしても、連絡がないのが気がかりだ。
 一年生とはいえ社会人だ。連絡する機会があれば、電話なりメールなりしてくるだろう。常識的な、落ち着いた感じの子だったし。

「ほかに思い当たる所は? 急に尋ねてくるカレシとかいない?」
「あまり浮いた噂はなかったなぁ」
「なんでもいいから、思い出すことない?」
 キャリーもまぁちゃんも首を横に振る。
「彼女の勤め先は?」
 三番目さん、いや野々宮さんは、地元の個人病院で受付をしていたらしい。

「病院から急に呼び出された、ってことはないのかな?」
「それだったら、連絡くらいくれそうなものだけど」
 キャリーが言う。結局のところ話はそこに落ち着く。
 彼女が連絡できない状況にあるらしいことが心配なのだ。
「ダイビング協会や漁労協に、事故や病人、怪我人の報告は届いてないみたいだ」

 寡黙な御子柴さんが、確認した事実を告げた。
 皆の頭に不吉な影がよぎる。ちゃらちゃらとナンパについていくような性格でもなさそうだから、よけいに心配だ。
「一応、警察と消防に届けた方がよさそうね」
 水難事故と確定すれば問答無用で届け出るべきだが、このケースでは判断しがたい。
 彼女が写っている写真のデータを入れて発信し、付近のショップにも情報を募ることにした。

「できることはやりつくしたようね」
 秋月店長がいかつい顔で結論を告げた後、みなを安心させるように、「案外けろっとした顔で、戻ってくるかもよ」
 それでも皆、不安を隠せなかった。
 龍神池であんなことがあったから、なおさらだった。

 昨日の龍神池の溺死体、――病院に運ばれて死亡が確認されたようだから、そう言って構わないと思うが、の発見の経緯について、再度聴取したいので来署されたし、と言われていた。
 皆と一緒に話している最中に、夢愛さんがしきりにアイコンタクトしたらしいが、ぼくにそのような芸当は通用しない。

「なんで早めに抜け出してこないのよ」
 怒られてしまった。
 いろいろと整理しておかなければならないことがあるのは、ぼくも同じである。
 ふたりきりで海岸の端にある民宿『ホウボウ』の喫茶室に入って奥の座席に陣取った。

「夢愛さん。なにか隠していることはありませんか?」
「なによ。いきなり」
 ぼくはこの際、知っていることをぶちまけることにした。
「龍神池で見つかったあの人とは知り合いでしょう?」
「声がでかい」
 意外に冷静にたしなめられた。夢愛さんはこの界隈ではある種有名人だから、壁や障子にある目を憚る必要があるのだろう。

「見たんですよ。前にN駅で会ってたところ」
 顔の識別はつかないが、体つきなどであの人ではないか、と昨日思い当たった。さすがにそれは聴取の際にも言及しなかったが。
「何を考えてるの?」
「以前、駅前のロータリーに駐めてあった車の中で、彼と言い争いをしているのを見ました」ぼくは声を落として尋ねた。「何があったんですか? あの男の人と」
「別に、ただの話し合いよ」
 知り合いである点は認めた。

「昨日の朝も、彼に会いましたよね?」ぼくは追及の手を緩めなかった。「あの人を自殺に追い込んだんじゃないですか?」
 彼女は飲みかけていたアイスコーヒーを噴き出した。
「馬鹿なこと言わないでよ」
夢愛さんはモノフィンを使って湾内を横断することによって、短時間で『はまゆり』と東の﨑を往復し、突堤に駐めてあった彼の車のところで密会していた。

 夢愛さんとの密会後、あの男は車を乗り捨ててこの辺りを彷徨いたようだ。
 ぼくは一度彼と遭遇した。そのあと、午後になって竜神池で死体となって浮かんだ。事故ではなく、自殺だったかもしれない。
「自殺を謀ったのでなければ、わざわざあんなところに行く人はいませんから」
「その推理に自信あるの?」
「当たらずとも遠からずでは?」
 ぼくは少し自信をなくしながら、言った。

「じっちゃんの名に賭けて?」
「ぼくのじっちゃん普通の公務員でしたので、名を賭けるほどのものではないです」
「あんたって、ホントおバカ」呆れたように言った。

 近所の交番ではなく、西ノ浦にある駐在所まで行かなければならない。
 交通費は出るらしいが、海水浴シーズンで最寄り駐車場が混んでいるとのことで、近くの駅に愛車のミニバンを置いてレンタサイクルを使った。
 チャリンコのうしろに夢愛さんを乗せて、駐在所への道を漕ぐ。
 今頃盛り上がっているだろうダイブ・フェスの宣伝は行き届いているようで、立て看や横断幕が至るところで目に付く。

 午後の太陽は勢いを増している。横座りにしている夢愛さんが、ぼくの腰に回している手がくすぐったい。
 長い髪から甘い香りが漂ってくるのが気になる。発情期なのかもしれない。
 なんだか、こんなこと全てがどうでもいいような気がしてきた。

「本当に私が、あの男を自殺に追い込んだと思った?」
 耳元でささやかれ、何やら妖しい気分になる。
「実はそのとおりなのよ」
 わき腹に激痛が走った。夢愛さんが思いっきりつねったのだ。
「やめてください夢愛さん。危ない!」

 ふらつきながらも、どうにか無事に駐在所に着くと、会議室に通されて別々に聴取されることになった。
 雲行きが怪しい。やはり単なる事故ではないと考えているのだろうか。
 男の身元については、「知ってることは全部話しな」と夢愛さんに言われていた。
 アンタ嘘つくの下手だから、あとでばれると却って心証を悪くする、とのこと。

 ぼくと夢愛さんは別々に聴取されると言われ、彼女は婦警さんに連れられて奥の部屋に消え、ぼくは会議室に通された。
 会議室というのは十人程度は入れるだろうか、といった広さの室に長テーブルが二列四卓、それぞれに椅子二脚がついた殺風景な部屋で、一度も使われたことがないのでは、と思うようなホワイトボードが隅にあった。

 しばらく待たされたのち、ふたりの男の人が入ってきた。
 ひとりは小柄ながらがっちりとした体格の年配、もうひとりは長身の若い人。
 テーブルを挟んでぼくと差し向かいで座ると、さすがに緊張する。
「クールビズということで失礼します」
 と言った年配は白い開襟シャツだったが、若い方はなぜか青地に花柄のアロハだった。潜入捜査でもやっているのか?

「われわれはこういう者です」
 カードのような身分証を見せ、名刺をくれた。
「県警の刑事部捜査課?」
 年配のほうが助川巡査長、アロハのほうが六角巡査。助さん角さんだ。刑事部捜査課に所属する巡査なら「刑事」さんか。

「早速ですが」
 名まえを訊かれ、身分証明として免許証を提示する。
 S大の学生でバイトとして民宿『はまゆり』に泊まり込んでいることを説明した。
「スキューバダイビングですか」
 助さんが、調書というのだろうか、何かの書式に記述している。
 若い角さんのほうもメモにペンを走らせていた。

「それでは、昨日龍神池で遺体を見つけた経緯を教えてください」
 盗撮の件は伏せ、釣り人風のひとがラジコンヘリを持っていたので、一緒に遊んでいたところ、あの死体を見つけた、と答えた。
 あの盗撮男は、午前中に聴取を受けたらしい。

「被害者に心当たりはありますか?」
 来たと思った。
 緊張が顔に出ないよう注意しながら、顔はわからないが風体から見覚えのある人かもしれない、と言うと、
「これを見て頂いて構わないでしょうか」

 写真を見せられた。
 相貌失認のぼくに顔写真を見せてもムダですよ、などとは言わずに検めるような振りをして、先週夢愛さんと一緒にいるところを見た。
 ぼくは誰か知らないこと、また昨日の午前中にもこの人を偶然見かけたことを伝えた。
「”偶然”、ですか?」
 なせか角さんがそこに食いついてきた。

「昨日の朝にくじを引くまで、自分すらどの場所を担当するかわからなかったぐらいなので、出逢ったのは偶然ですね」
「顔は知っているが、誰かはご存じないということですね」
 助さんの念押しに、はいと答えた。
 厳密には「顔」はわからないのだが。

 小一時間ほど、質問と答えを繰り返すと、さすがに細かな矛盾は起こったが概ね事実通りなので、動揺することもなく淡々と聴取に答えることができた。
「ありがとうございました」

 調書を渡され、ざっと読み返して間違いのないことを確認して署名する。助さんの字は癖があって読みづらかった。
「なにか思い出したことがあったら、連絡ください」
 助さん刑事がそう言い、角さんは、
「”偶然”目撃した、のならば作為の入り込む余地はなさそうですね」
 含みのある言い方をした。
「セイレーンの謳う夏」(11)に続く)

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