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【備忘録2】

【死に方は選べない】
叔母は、年が明けて齢84歳になったが、
「生きているのがシンドイシンドイ」
と言う。

さらに、常々
「私は病気になっても絶対に治療なんかしない。生命維持装置も絶対に付けないで、と息子に再三言ってある」
と言う。

10年前に亡くなった私の母も、
常日頃口癖のように
「お母さんはもう充分長生きしたから、延命治療だけはしないでね、ね、管に繋がれたまま死にたくないから」
と、しつこく同じ事を言っていた。

ところが、母は老いてもまだ元気な83歳のある日、妹の作ったパスタをお腹いっぱい食べて、
「美味しかった〜幸せ〜」
と言い、その直後に意識を失くして倒れ、そのまま救急車で運ばれた。

さて、そこで質問です。
さっきまで一緒にご飯を食べて、
「美味しかったね〜幸せ」
と言い合っていた
父親が、母親が、そして大切なパートナーが、同じように倒れて救急車で運ばれた時に、

「生前、延命治療はしないで欲しいと言われていたので、何もしないでください」
とあなたは言えるだろうか?
それをどのタイミングで言わなくてはならないのか?

年齢にもよる、とか、
病気で苦しんでいたから、
とかではない。
さっきまで元気で並んでランチを食べていたあなたの家族が突然倒れた時、です。

母は、60代、70代の頃からずっと延命治療はしないで、と耳にタコができるほど私に言っていた。
半身不随になったりしたら、
そんな状態で生きたくない、とも。

私は
「はいはい、わかったわかった、お母さんが倒れたら、そのまま放っておくから心配しないで、はいはい」

などと、いつもテキトーに答えていたが、病院に運んだ妹から
「治療するか?しないか?」
と先生に聞かれてる、と
電話がかかって来た時には

「可能性があるなら、
治療してもらいなさい‼️」

と叫んでいた。
さっきまで元気だった母は、
まだ生きられると思ったからだ。

その後、脳内の出血を手術で綺麗に取り除いたが、母は目覚めなかった。

母がいちばん望まなかった呼吸器や生命維持装置に繋がれたままひと月。

やがて肺炎を併発してちょうどひと月後に逝った。

私はあれだけ母から言われていたにもかかわらず、
「手術をしてもらう」
という選択をした。
そしていったん呼吸器や生命維持装置をつけられてしまったら、
死ぬまで誰も外すことができない。

あの経験から、
「死に方は選べない」と悟った。

時には愛する息子や娘に、その過酷な判断を強いる。
適切な死に時などというものは、
無いに等しい。

子供の居ない私は、誰かにその判断を強いることをしなくていいのが幸いだが、
では、「死に方と死に時を」どーすっかなあ?

常日頃、下着に
「救急措置と延命措置拒否‼️
by長谷川薫」
と書いた布を縫い付けておこう‼️


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