こばち

大阪で暮らす40歳。まー色々ありますわな。

こばち

大阪で暮らす40歳。まー色々ありますわな。

マガジン

  • 私と母と生と死と。

  • 肺腺ガンになりました。

    2019年6月に肺腺ガンの手術をしました。 幸いステージ1だったので手術のみで治療は一旦終了しています。 ガン患者になったことで感じたことなどを綴っています。

最近の記事

母の一回忌

お骨をおさめたお寺に来ている。 今年は自分のために多くの時間を使えていて、これまで後回しにしてきたことたちに比較的向き合えている。 ここ数年で身近な存在が亡くなったり離れたりと次々近くからいなくなっているけど、案外寂しさに打ちひしがれたりすることもないんだなと感じている。 平穏に楽しく過ごせている。 不安は現実でない時の方が大きく力を持っているとつくづく思う。 孤独が現実となった今、思ってたよりも孤独感もない。 何度か死を目の当たりにしていくうちに、身体という物質からエネル

    • 弔い

      母が暮らしていた形跡をなくしていく作業もやっと終わりが見えた。 そんな今日はたまたまやけど1回目の月命日。早い。 ちょっと膨らみかけの半月を窓から見て看取った日の夕方を思い出した。 あの日はきれいな半月だった。 早々に仏壇も手放して四十九日の法事もするつもりもないけど、この作業を自分の手でやることが自分なりの弔い方な気がする。 めんどくせーって何回も言うたけど笑 窓が多くてよく風が抜ける部屋なのに母は何かと窓を覆っていた。 窓に直接テープ貼るのやめえ笑 いなくなってから知るこ

      • 母を看取った日

        前回の投稿が6月26日。 あっという間に2週間近く経とうとしている。 あれから2日後の6月28日に母を看取った。 その前日の27日に病院から電話があり、その夜は付き添うことにした。 意識はあるのかないのかわからないけどたまに手や頭を動かす。 経皮的動脈血酸素飽和度は90%前後で呼吸は前日よりもしんどそうな様子で身体の力を使い果たそうとしているのをただ見守るしかなかった。 40代後半くらいから高血圧だった母の最高血圧が70mmHg台、最低血圧が20mmHg台にまで低下していた。

        • 看取りの準備

          三日月を眺めながら自転車をこいだ。 母の命の終わりが近づいていることを主治医から伝えられ、自分の目でもそれを感じた6月の初め。 それから1週間ほどで満月の日があって、その満月が三日月になるほどの時間、母の身体は痛みや苦しみと闘ってきたのだと思った。 本当にろうそくがどんどん短くなるかのように時間を追う毎に母の身体は目に見えて消耗していった。 今、母は何を思うのか。 今日はそれすらも聞き出せないほどに衰弱していた。 これまでは血液検査の数値が日に日に悪くなっているのはあったけど

        母の一回忌

        マガジン

        • 私と母と生と死と。
          4本
        • 肺腺ガンになりました。
          4本

        記事

          肺切除の手術を決めるまで

          前回、肺腺ガンの可能性が発覚したきっかけについて書きました。 2018年3月に発覚して、2ヶ月後の5月に再度CT検査を受けました。 結果、大きくなることも小さくなることもなく状態は変わらずでした。 これといった症状もないので自分にとって存在感は薄いものでした。 でも先生はほっといて良いとも言えないし、もし手術で取ろうと思うならいつでも言ってくださいと言ってくれていましたが、実感が伴わないのもあってこの時はまだ手術することを現実的に考えられませんでした。 肝臓のように切除しても

          肺切除の手術を決めるまで

          肺腺ガンの可能性が発覚したきっかけ

          これから病気になることは増えていくのだろうし、周りの人からもそういった話を聞くことが増えるのだろうと思います。 35〜36歳でガンという病気を経験したことはそれなりに貴重なことかもと思うので色々な切り口で振り返って書き残しておこうと思います。 といっても闘病らしい闘病をしていないので数回で終わりそうw 発覚したのは入院したから2018年3月に40℃近い高熱が1週間続いて救急車に乗りました。 そしてそのまま入院になりました。 症状的にはウイルスの感染症の可能性が高いけど、自己

          肺腺ガンの可能性が発覚したきっかけ

          肺腺ガンを公表して良かったこと

          前回の記事で肺腺ガンであったことを書きました。 このnoteだけではなく使っているSNSすべてでその事実を伝えました。 自分のことを伝えるのはどちらかと言うと苦手な方ですが、ガンという病気の当事者になったことで自然と周りの人たちに自分が体験したことや感じたことを伝えたいと思いました。 ガンと闘病している方のSNSへの投稿はたくさんありますが、その多くはある程度進行していたり末期の方が多いという印象です。 メディアが伝える著名人のガンについても悲劇的な伝え方のものが多いと感じま

          肺腺ガンを公表して良かったこと

          ガンになりました。

          先日、肺の一部を切除する手術を受けました。 その切り取った組織の病理検査の結果が出て、私は晴れてガン患者になりました。 診断名は肺腺ガン ステージⅠ A-1。 1年ほど前(高熱が続いて入院した時)にCT検査で7mmほどの影が写ったことで発覚しました。 通常レントゲンには写らないサイズなのでこの段階で発見できたのはかなり運が良いと思います。 病気になることは運が悪いとか残念だ、引き寄せだとかって言う人もいるけど、生きてたら遅かれ早かれ何かしらの病気にはなると思うし、体力、気力が

          ガンになりました。

          伝染性単核球症という病気で入院していた話

          3月3日の晩に救急車に乗って13日まで約10日入院していた。 来週の月曜日にならないと最終的な結果はわからないけど、EBウイルスの感染による伝染性単核球症の可能性が高いという診断だった。 EBウイルスについてググると色々情報がヒットするわけだが、 『 この感染症は、キスのように感染者と濃厚な接触をもつことで伝染します。』と真っ先に出てくる。 いや、、、心当たりないんすけど。。w 『伝染性単核球症はキス病とも呼ばれます。』 マジでやめて?その呼び方w 色々誤解を招きそ

          伝染性単核球症という病気で入院していた話

          人生初の大腸カメラ

          3月3日から入院している。 39℃以上の高熱が8日も続いてCRPという炎症反応などを示す数値が20を超えたことで入院になった。(CRPの正常値は0~0.3) 症状からウイルス感染の疑いと自己免疫疾患の疑いがあったため、片っ端から検査をすることになった。 この入院中にいくつか初体験があった。 大腸カメラもそのひとつ。 少々汚い話にもなるが、体験談を残しておこう。 大腸カメラは肛門からカメラを突っ込んで大腸の様子をくまなく観察できる画期的な検査方法だ。 そのための準備は少し大変

          人生初の大腸カメラ

          不意に訪れる非日常

          体調を崩して入院することになってしまった。 日常から非日常に一変した。 そんな非日常にもすでに慣れつつある自分がいる。 働いて、家のことをしてそれを繰り返していた時はその流れが急に変わってしまうことに強い不安を感じてたはずなのに。 いざ病気になって病院に閉じ込められてしまうと、この状況でできることを考えるようになるし、できないことやどうしようもないことはあっさり諦めてしまった。 先の変化に不安や恐れを感じることは生きている上で多々ある。 でもそれはそこまで恐れるものではないと

          不意に訪れる非日常