2023年、輝度の答え合わせ
コブ山田です。
ようこそいらっしゃいました。
今回は、プロ野球横浜DeNAベイスターズ、大和選手について、記します。
2023年09月23日(土)、私は横浜スタジアム中日戦を観に行っていました。
この通りビジター外野指定で観ていて中日のビジターユニホームを着ていたため、表立って横浜DeNAの応援はできません。
ただ、そんな中で横浜DeNAのバッターに注目した時間がありました。
08回裏、長打が出れば逆転という大チャンスの場面で、横浜DeNAの8番バッターである林琢真に代打が告げられました。
「大いなる闘志燃やせ!大和!」
とスタジアムDJが声を張り上げ、大和が右バッターボックスに入ります。
時計の針を巻き戻します。
2017年12月、横浜DeNAベイスターズ公式WEBサイトに以下のフレーズが躍り出ました。
"ここ横浜に自分の持てる力を存分に発揮し優勝するために来ました"
当時、私はそれを無言で眺めていました。自分で自分の人生を好きな方向に向けることができた姿を見て、すごいなと思っていた次第です。
阪神からFA宣言していた大和は、慰留していた阪神でもなく金額の面で好条件を出したオリックスでもなく、知らない土地であり友達もいない(本人談)横浜DeNAを選んで移籍を決めたのです。
その直後には、中日も北海道日本ハムの大野奨太をFAで獲得しました。当時の私は具体的なキャリアプランがなかったので、自身に落とし込んで行動に移したのは、03年後でした。noteにも書いています。
試合に戻ると、大和は勝野昌慶の投げた球をひっかけてしまい、ショートゴロスリーアウトチェンジになりました。
周囲の中日ファンが喜ぶ中で、私も勝野を称える声に乗ります。
一通り声は出しましたが、実は私の目線はスコアボードの"大和"の文字に向いていました。
「選手として一番輝ける時期というのは短い。」
30歳になった大和がこの言葉を発していて、輝けるようにと横浜DeNAファンが全体的に後押ししている様相は私も気になっていました。
私はプロ野球選手ではありません。一般企業で働いています。ただ、それでもこの言葉の深さが年々身にしみてきます。
大和に続き、私も2023年度からアラフォーの域に入っていきました。年々身体も違ったようなものになってきています。
仕事の面でも、年齢を理由にできなくなってくる、しようと思っても相手がOK出さないことも増えてきます。
加えて、大和は昨年、慢性腎臓病を公表しました。
見た目は軽快にプレーしていますが、実は長年病気と闘っていたのです。
大和はどんな思いでいるのか。2023年は、2017年の予想図通りなのか。
優勝するために来ましたと言っておきながら先に優勝したのは古巣であり、自身も不動のレギュラーではなく、まさか後悔していないか。
そう、今日2023年10月17日(火)の06年前は2017年10月17日(火)であり、阪神がクライマックスシリーズファーストステージで横浜DeNAに敗れ、大和が試合後に無言でベンチにたたずんでいた日です。その後大和はFA宣言したので、この先の人生どうするかを考えていると見ていいと思います。
2023年のセ・リーグクライマックスファイナルステージは優勝した阪神主催の広島戦にはなりましたが、この対戦相手が横浜DeNAになっていた場合は大和に注目する、と決めていました。
06年後の2023年、大和と同時にFAした大野奨太が引退を発表していて、もう選手として活躍するシーンは見られないだけに、私が大和から受ける影響は大きくなります。
私もチャンスに飛び込もうという決断には大きく賛同し応援したくなるひとりです。今回もこの言葉を使うことになりますが、私の人生の添え木となるよう、大和の輝かしい活躍を、できる限り長い時間軸で見ることができればと思っています。
ありがとうございました。
サポートいただければ、本当に幸いです。創作活動に有効活用させていただきたいと存じます。