秋の浜風吹く阪神甲子園球場と読売ジャイアンツ原辰徳監督
コブ山田です。
ようこそいらっしゃいました。
今回は、プロ野球読売ジャイアンツ、原辰徳元監督について、記します。
2023年09月14日(木)。
阪神甲子園球場で阪神主催の巨人戦が行われ、マジック1としていた阪神が勝ちました。
それまで"アレ"という婉曲的な表現にしていたものでしたが、もうその必要はありません。
阪神タイガース、セ・リーグ優勝。巨人の原辰徳監督はその引き立て役となってしまい、対戦相手の監督の胴上げを見ることとなってしまったのでした。
実際にコメントがある記事もあります。
個のプレーヤー能力、そして結集させたマネジメント能力。いずれも阪神は高いレベルだったと言っています。
これに対し巨人ファンは阪神にはやられっぱなしだったのに何言ってるんだと怒るリアクションも見ました。確かに巨人も日本一目指して戦っているのに、阪神にリーグ優勝を許したのは自身の責任問題にもなりますので、その点は内心満足はしていないはずではあります。
ただ、あくまでも私の推測ですが、原辰徳個人としては阪神タイガースに対しては敵意むき出しというわけではないように思います。
03年前の2020年。11月10日(火)に行われた阪神甲子園球場での巨人戦で、原は印象的な選手起用を見せました。
同日の巨人のスタメンは、以下の通りでした。
(遊)吉川尚
(右)松 原
(左)重 信
(三)岡 本
(中) 丸
(二)田中俊
(一)若 林
(捕)岸 田
(投) 畠
阪神の先発は青柳で試合が始まります。
ところが、阪神打線が巨人のピッチャーを打てません。08回までノーヒットが続きます。
中谷がヒットを打つことでノーヒットノーランは免れることができました。
このころ、1塁側のブルペンでは、投球練習が始まりました。
09回表。
阪神甲子園球場に、LINDBERGの曲、『every little thing every precious thing』が流れます。
この時はイントロから流れ始めました。
大歓声に迎えられ、藤川球児がリリーフカーに乗って登場。マウンドに立ち投球練習を始めます。
09回表が始まると、すぐに原は代打起用を行います。
1番ショートスタメンだった吉川尚輝からでしたが、代打でベンチスタートだった坂本勇人を起用します。
坂本は幼少期阪神ファンであり、藤川球児の引退試合の対戦相手というのは感慨深いものがあって当然です。
本人もそのように発言しています。
巨人のレジェンドになることが決まっているような坂本に対するプレゼントか?と最初は私は思っていました。
坂本が三振したあと、2番ライトスタメンの松原聖弥にも代打が起用されます。
これもベンチスタートだった中島宏之です。
2008年北京オリンピック、2009年WBCでチームメイトだった中島です。その当時は埼玉西武ライオンズ所属であり、中島が阪神に個人的な感情を持っていた可能性もありますが、私は気づきました。
明らかに、原が阪神タイガースに対して喜んでもらいたいと思う気持ちもあり、藤川球児の引退試合に全面的に協力していると。
そのため、坂本、中島は必ず藤川球児と対戦できるように、起用するタイミングをコントロールできるようにベンチスタートにしたわけです。
巨人と阪神は伝統の一戦と呼ばれて特別な位置づけであるように、敵対心が強いのでは?憎き敵ならそんなことせんでいいだろう、という疑問を持ちそうですが、原に関してはそうではないエピソードがあります。
ちょうど20年前、2003年09月19日(金)。
2004年シーズンの読売ジャイアンツ1軍監督に堀内恒夫が就任。原は解任になりました。
2002年シーズンから03年契約で原が監督を務め同年日本一。2003年は阪神に独走の形で優勝は許しましたがAクラスには入りました。
それでも、監督交代になったのです。
読売巨人軍渡邉恒雄オーナー(当時)の"読売グループの人事異動"という表現で批判をかわそうとしたのか、どうにも釈然としない気持ちはありました。
これも現在思えばフロントが原を守ろうとした意図があったのかもしれないとは思いつつも、Aクラスに連続で入っているチームの監督が途中で退場になってしまうというのは、不自然な話です。
ところが、その読売巨人軍、原に対し東京ドームでセレモニーらしいイベントを行わなかったのです。
あいさつの機会すらもない。これは原も、もう巨人なんか嫌だ、いや、プロ野球の監督なんかやりたくないと思ってしまっても不思議ではありません。
その監督交代のできごとも読売巨人軍フロントが主導権を持ち、強い力で進めていったことが一因と報じられていました。
同年パ・リーグで優勝した福岡ダイエーホークスの王貞治監督ももともとは巨人の選手、監督を務めていました。原もそれを見て心境の変化が生じる、はおかしなことではありません。
加えて、同年限りで選手を引退して原監督のもとコーチに就任すると決めていた巨人川相昌弘もそれなら話が違うと引退を撤回し、中日の落合監督のもと現役を続行する道を選びました。
2003年10月08日(水)にその通り中日は落合博満の1軍監督就任を発表しました。そうして川相が巨人のユニホームを着たまま中日の秋季キャンプに参加するというレアな光景が繰り広げられ、そのまま2006年までプレーすることとなりました。
話を巨人に戻しますが、混迷している印象が拭えないままの巨人は東京ドームでの試合は全日程終了しましたが、他の球場では残っていました。
川相を招き入れた落合が中日監督に就任した前日になる、10月07日(火)。阪神甲子園球場での巨人戦でした。ちょうど20年前の今日です。
試合は巨人が勝ちました。原はひとまず、監督最後の試合を白星で飾りました。
レフトスタンドの巨人ファンからは横断幕が掲げられ、そして声が自然発生していきます。
「(ドドドン!)原!」
「(ドドドン!)はーら!」
ただ、その声がやけに大きいのです。そう、ライトスタンドの阪神ファンも同じように叫び、一体となって原コールができていました。
そうして、阪神の星野仙一監督が原に対し花束贈呈する旨の場内アナウンスが流れました。
ホームベース近くにて、星野が原に花束を渡しながら、
「くじけるな。勉強してもう一度戻ってこい」
と言葉をかけ、原は涙していたのでした。
その後、マイクを受け取った原は、
「私は夢の続きというものを胸の中にしっかりしまい込んで温め、宝物にして、明日からまた生きてまいります。本当にありがとうございました!」
という結びの言葉であいさつを行い、ホーム・ビジター関係なく大きな拍手が沸き起こったのでした。
私は、阪神球団から花束を渡してもらったこの2003年10月07日(火)が、原辰徳という人物形成に大きな影響を与えたと思っています。
敵意むき出しにはなりようがない、という根拠はこのエピソードです。
最後に
2003年10月上旬は、私は中日の新監督に思いを巡らせていました。ただ、急に降ってわいたこのイイ話は、当時中学生だった私も感銘を受けました。
「くじけるな。勉強してもう一度戻ってこい」
という星野の言葉は、大人になり働き始めてからも心に残っています。
円満ではない形で退職になった人もいました。直接私が発するのは難しいところがありますが、この言葉はぜひ伝えたいです。
一方で、20年経った今年2023年は、阪神を応援しているという一部の人が巨人に対して攻撃的な言動をとることが目立った年でもありました。
確かに巨人の選手にも落ち度があったことはありましたが、それでも鬼の首を取ったように攻撃的な言動をする。
簡単には理解ができないことです。敵意むき出し、と言うより実態は憂さ晴らしの方が近いでしょう。
星野仙一という人物が原辰徳を温かく励まし、原辰徳が心に響く体験を他の人もしてほしいと藤川球児のフィナーレにおいて味のあるキャスティングで向き合う。
プロ野球はエンターテイメントであり、多くの人を笑顔にできることがひとつの魅力です。
そのエピソードのひとつとして、2003年10月07日(火)、阪神甲子園球場巨人戦での原辰徳監督退任セレモニーが巨人・阪神両球団のみならず社会全般に、これからも受け継がれていってほしいと願っています。
と書いていた2023年10月04日(水)、同年限りで巨人原辰徳監督が退任するというニュースが流れてきました。
20年前と違い、今回は球団史上初の連続Bクラス。相対的に厳しい評価をつけざるを得ない状況下での辞任であり、巨人というチームの特殊性を考えるとこれは仕方ないと思ってしまいます。
ただ、そんな中でも20年前のできごとは、まさに言葉の通り宝物となり続けこれからの原辰徳の人生においても大きな彩りを添えるものと私は思っています。
ありがとうございました。
サポートいただければ、本当に幸いです。創作活動に有効活用させていただきたいと存じます。