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善悪、損得、好き嫌い

「あゆちゃん、いいかい? 人との関係っちゅうもんはね、善悪と損得と好き嫌い、この3つの角度からみなあかんで」

祖父の七回忌のために、親戚であつまっていたときのこと、祖父の弟がふとこんなことを教えてくれた。

自分がどれだけ善いこと(正しいこと)をしていても、なぜか喜ばれなかったり、事がうまく運ばないとしたら、それは相手にとってはそれが損になることだったり、相手が自分のことをあまり好きでなくて、何をしてくれても面白くなかったりするのかもしれない。

逆に、誰かを心底好きになってしまったとき、人は多少自分が損をしても、あるいは悪い(正しくない)と思えるようなことでも、するときがあるのかもしれない。

おじさんが言いたいのは、こうゆうことらしい。なんとなく、そんな気もする。

おじさんは政治家をしていたらしい。(政治家っていわれても色々ありそうだけど、わたしは何をしてるかよくわかってない)

その仕事をしていると、よぉ〜く人をみて、人間関係を調整していく機会が多いんだと、周りの親戚が言っていた。

でも、それはどうかなぁと思う。その職業がどんなものかはわからないけれど、職業はあくまで一つの結果でしかなくて、そもそもおじさんは人をよく観るのが好きなんだと思う。だから、そうゆう人間関係の調整も大切になる仕事についたんじゃないかな。

話はもどって、善悪、損得、好き嫌いの3つについて考えてみる。

善悪というのはきっと文化的にきまるし、損得は社会・経済的にきまる。好き嫌いは個々の心理的なもので...などと分類しながら思いめぐらしていたら、頭がこんがらがってきた。

でもひとつスッキリとわかるのは、「あの人はきっと○○と考えるだろう」と思ってなにかして、予想通りにならなかったとき、そこに自分が見えてなかったモノサシが相手の中に眠ることを考えるのって有意義だなってこと。

なにか思い通りにならなかったときに、「なんで○○してくれないの!」「○○するなんて信じられない!」と反応したあとに、じゃあどんな経緯で○○に至ったんだろうと想像してみる姿勢は、仲良くできる人の幅を増やしてくれると思う。そして、それは自分の世界を豊かにしてくれるに違いない。

おじさんは、善悪/損得/好き嫌いという3つの尺度で、人間は動いていると、齢80にして悟ったらしい。

それを参考にしつつ、わたしはわたしで、人々の中にある、もしかしたら本人さえ気付いていない、たくさんの尺度を発見していきたいな。

thank you as always for coming here!:)