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「絵を描きたい」ってなんだ?

先日は創作意欲を維持するための環境(主に時間)についての話を書きましたが、今回はもう少し解像度を上げて、自分にとっての創作意欲とは、そもそも絵を描きたいという欲求は何なのか?について分解してみたいと思います。

これって創作をする人にはあまりにも当たり前で初歩すぎる話だからなのか、却ってクリエイター同士で話したり見解を読んだりする機会が無いなぁと思っているのですが、あえてググったりせずにそういった見解を知る前に自分の脳内の考えをまとめてみたいなと思いました。


創作したい気持ちはどこから来るのか?

持論ですが、日々を暮らしている中で何かのきっかけで自分の心が動いた時に、心のうちに溜めておくのが勿体ないとか、居ても立ってもいられない状況になり「これは何かに表現したい…いやせねばなるまい」といった湧き上がる感情が創作意欲だと思っています。

創作意欲が湧いたらどんな手段を用いるかといった際、自分が一番得意な絵を描くという手段を用います。得意だという理由は、自分が他のやり方に比べて上手くできるなぁと思ったり、他の人に褒められることが多いなと思うからです。これが文章だったり写真だったり音楽だったり映像だったり、他に得意なことがあればその手段で表現すると思いますが、自分にとってはそれが絵だったというだけの話です。

どういう時に絵を描きたいと思うか?

これについては主に3つに分けられると思っています。

①他人の素晴らしい作品を見たとき

他の人が描いた超絶上手い絵や最高にユニークな視点で切り取られた作品を見ると、「ウワー!!なんてことだ!!居ても立っても居られん!!」という感じで畏敬・興奮・喜びプラス嫉妬みたいな感情を燃料に絵を描きたいという気持ちが湧き起こります。今はSNSを眺めるだけで無限に供給されてくるので全く困ることはありませんね!時には毒にもなるくらい打ちのめされたりむしろ意欲が削がれることもあるかもしれませんが適切な用法用量を守れば絵描きにとってはこの上なく有用な燃料だと思っています。

絵を描きたい気持ちって結構この人の絵を見て刺激を受けるということが原体験なのでは?と思ったりするのですが、例えば自分は保育園の頃に先生が描いてくれた女の子やお姫様の絵がとても子どもには描けないようなタッチで可愛くて上手くて、こんなふうに自分も上手に描けたらな…と思ってしょっちゅう真似していたのをよく覚えています。

あとは最近、中高生の頃に好きだったイラストレーター・漫画家・アニメーターさんの画集を発掘して見返してみたのですが、やっぱりどれだけ時を経ても自分の描きたい絵の根源にその方々の影響があるなぁとつくづく思わされます。(この話もどこかで書いてみたいですね)

気づきですが、他者の作品から意欲を供給させてもらっている一方、作品を純粋に楽しんでいるのか?絵描きとしての自我を一切介在せずに鑑賞する機会があるのか?というとあんまり無い気がして、純粋な鑑賞側の姿勢を失っている自分って偏っているなと思います。

②外に出て自分の心が動くものを見たとき

ここでいう外に出るというのは、自分の外側からのインプットを得に行くといったイメージで、自分の脳内だけでこねくり回さずに物理的に家の外に出る、もしくは家にいつつもなんらかの物語に没頭してみる、何かの勉強をしてみる、絵に限らず好きなアーティストの作品を見るといったことを指します。

自分にとって心が動きやすいなと思うモチーフは、簡潔に言うと「身近に生活を感じるもの」だなと思っています。もう少し具体化すると↓

・都市の様子
整然と計画された街並みよりも勝手にそうなってしまった感じ、下町の路地や繁華街の看板みたいなものに惹かれがち。当たり前に生活している人々の姿。無機物の中に佇んでいるちょっとした有機物(鉢植えとか)にも惹かれる。新旧入り混じっている感じが大好物。
・アジア的なモチーフ
アジア雑貨とか骨董、陶器の絵付けとかテキスタイル、漢字のタイポグラフィが好きです。日本、中国、台湾、ベトナム、タイ、韓国。西洋的なものよりも惹かれやすい。それ以外の文化圏のモチーフも気になるけど今のところ造詣が浅い。
・ファッション
どうしても奇抜な色使いの服装に惹かれがちで、見るのも着るのも好きです。自分が好きだけど着られないなみたいな感情を絵にぶつけている自覚もある。

鶏が先か卵か先かですが、こういったものを発見するのが楽しくて外を歩き回ることが大変に好きです。都内を散歩している時が一番創作意欲が湧くなぁと思います。
遠出の旅も好きなんですが、著名な観光地や唯一無二すぎるもの、美しすぎる風景だとあまり絵にしたいなという感情が湧かないですね。不思議。普通の生活や現地の人が当たり前すぎて目にも留めないものには興味があるし絵に描いてみたい気持ちは湧く。
そう考えると自分が解像度高く理解していて、かつあまりスポットを当てられないものを描いてみたいというただのあまのじゃく的精神なのかもしれない。

物理的に外に出ずとも、好きな漫画、アイドルのMV、映画などから創作意欲を得る方や、人のいない静謐な空間が好きでそういったところからアイディアが湧くという方もいると思います。

③義務感

何とシンプルな。現実、①・②の湧き上がる感情、キラキラ〜な要素だけでは描き続けるのって難しいなと思います。
ここでいう義務感とは、自分は絵を描く人間だという思い込みから来る、やらないと気持ち悪いぞ、自分らしくないぞという自意識のことです。なんらかの理由で描く気にならない、もしくは描けない状況が続いているという時に、「あああ…自分は絵を描かなきゃいけないのに描いていない…なんてことだ、やるべきことをやっていない…」という罪悪感に苛まれるのとセットの概念です。本当は誰にも強要されていないことであり自分で勝手に自分に課しているだけで側から見ると何のこっちゃだとは思いますが、この過剰なくらいの自意識が創作意欲を維持させるのには必要だと思っています。

ちなみに自分は大学〜社会人の間絵を描いていなさすぎてなんとブランクが10年くらいあるにも関わらず復活できたのはこの③のおかげだと思っています。

絵を描き続けるために必要なこと

上記を総括すると①他人の作品を見る・②心が動くものを見るは毎回の創作を行うためのきっかけとして必要で、③義務感はその回数を増やし続ける・継続させるために必要な要素という感じでしょうか。

仕事は別として、個人制作の絵に関してはこの感情をうまく鮮度の高いうちに料理するのが大事だと思っていて、うまく時間を作れなかったり、機会を逃すとだんだん創作意欲が消失していきます。これまで描きたかったのに結局描いてない絵がどれくらいあるかと思うと、描けてる絵って氷山の一角すぎるというか、貴重すぎて君たちは着手され完成できてよかったねとしみじみと思います。
(ライフハック的には、とにかく思いついたら言葉でメモる、ラフまででもいいからすぐ描くことがコツと思いつつ、できないことも多い)

自分が歳を経るごとに興味関心も移り変わり、ライフスタイルや時間の使い方も変わっていくと思うと、絵を描き続けられるかどうかは、スキルじゃなくて心をどれだけ創作意欲で満たせるかという努力ができたかっていう話なのかなと思っています。仕事にするかどうかを問わず絵描きライフを続けるのって一筋縄ではいかないなと思いますね。

※一方、別にブランクができてもいいんじゃないかとも思います。絵って生活の上で成り立っているのが健康だし、どっかで絵を描きたい気持ちが湧いて、時間ができたらやってみる、それまでちょっと悶々としつつもそれ以外の生活を謳歌し、時間ができたら再開するっていうのも豊かだなと思います。

ここまで、自分がとりわけ創作意欲にムラがある人間だという自覚があり、それを一定に保ちたいと思うがために言語化してみました。
世の中には絵を描くことが基本動作すぎてこんなこといちいち意識しなくても息を吸いご飯を食べるのとなんら変わらないくらい当たり前にやっていることだという人もいるのかもしれないです。あまり絵描きの方とそういう話をしたことがないのでどっかで聞いてみたいですし、他の人にとっての創作意欲ってなんだろうというのは気になります。


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