【寓話】泣き婆さん

南禅寺の門前に、”泣き婆さん”と呼ばれる女性がいた。彼女は雨が降れば降ったで泣き、天気が良ければ良いで泣く。雨でも晴れてもいつでも泣いていた。南禅寺の和尚が不振に思い、こうお尋ねになった。

「一体、お前さんはなぜいつもそう泣くのか」
すると婆さんは言うのだった。
「私には息子が二人おります。一人は三篠で雪駄屋をやっております。もう一人は五篠で傘屋をやっております。良い天気の日には、傘屋の方がさっぱり商売になりませんので、まことにかわいそうでなりません。また、雨降りになりますと、雪駄屋の方は少しも品物がはけませんので、困っているだろう。そう思いますと、泣くまいと思っても、泣かずにはいられません。」

そこで和尚は「なるほど、話を聞いてみれば一応はもっともな様であるが、そう考えるのは下手じゃ。わしがひとつ、一生涯うれしく有難く暮らせる方法を教えよう」とおっしゃった。婆さんはひざを乗り出して「そんなけっこうな事がありますならば、是非ともひとつお聞かせください」と言った。

和尚は次のような話をした。
「世の中の禍福はあざなえる縄の如しというて、福と禍は必ず相伴うものである。世の中は、幸福ばかり続くものではなし。かといって不幸せばかりが続くものでもない。お前は不幸せな方ばかりを考えて、幸せのほうをいっこうに考えないから、そのようにいつも泣いていることになる。天気の良い日は、今日は三篠通りの雪駄屋は千客万来で目の回るほど繁盛すると思うが良い。雨の降る日には、今日は五篠通りの傘屋の店では品物が飛ぶように売れていると思うが良い。こう考えれば、晴れれば晴れたで嬉しいし、雨が降れば降ったで嬉しいであろう」
それ以降、泣き婆さんは楽しく暮らしたという。

引用元:座右の寓話 戸田智弘 出版社 ディスカヴァー・トゥエンティワン

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心理学に「ネガティビティ・バイアス」という用語があります。ポジティブな情報よりもネガティブな情報に注意を向けやすく、記憶にも残りやすい人
間の性質を表します。

「スマホ脳」や「GO WILD」など、様々な書籍で、人の脳の大まかな構造は太古の昔から大して変わっていない説が主張されています。

大昔、人が野生で暮らしていたころは、獰猛な動物や災害に襲われたりと、生死に直結するような出来事を避けることが最優先で求められたため、このような性質が生きていくために欠かせないものでした。

翻って、現代社会は職場でのストレスや人間関係、SNSで様々な情報が飛び込んできたりと、様々な小さな刺激に溢れています。これらすべての悪い面だけに着目してしまうと、不幸な思考で溢れかえってしまいます。

嫌な出来事は半分程度に、良い知らせは2倍味わって考えるようにすれば、不幸を避けて幸福を呼び寄せる思考を手に入れられるかもしれません。

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