【読書ログ】藁を手に旅に出よう(1/4)


書籍情報

タイトル:藁を手に旅にでよう
著者:荒木博行
ジャンル:ビジネススキル全般
オススメする読者層:問題解決スキルを身に付けたい方、リーダーシップやキャリアについて考えたい方
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寓話を題材にしたストーリー仕立てのビジネス書で、問題解決、リーダーシップ、キャリア、価値観などについて学べます。ビジネス書ではありますが、人と一緒に課題に当たる場合や答えのない問題への向き合い方など、仕事以外でも応用できる内容です。

要約

本書の全体構成

ストーリーは若手社員のサカモトくんとその同期が、人事部長石川さんから寓話を題材にした研修を受けて学びを得ていく内容です。

寓話を題材にしてはいますが、一般に言われている教訓とは別の読み取り方をします。全部で12の寓話で、章立ては以下の通りです。
Session1 亀が戦略的にうさぎに勝つ日
Session2 裸の王様が生み出す空気に勝てるか?
Session3 オオカミ少年に罪はない
Session4 桃太郎に大義はあるのか?
Session5 北風は相手への憑依が足りない
Session6 藁を手に旅に出よう
Session7 浦島太郎はなぜ竜宮城に行ったのか?
Session8 アリがキリギリスに嫉妬する理由
Session9 花咲か爺さんの人生の尺度
Session10 大きな蕪を分解する方法
Session11 ティファニーちゃんが問いかけるあなたにしか見えない未来
Session12 君はレンガの先に何を見るのか?

以下、本書の章立てごとに、「寓話の内容」と「一般的な教訓」、この本のストーリーで得られる学びの順で章立て事に記述します。

亀が戦略的にうさぎに勝つ日

寓話の内容
ウサギに足の鈍さをバカにされたカメは、かけっこの勝負を挑んだ。かけっこが始まると予想通りウサギはどんどん先へ行き、とうとうカメが見えなくなってしまった。少し疲れていたウサギは油断して居眠りを始める。その間にカメは着実に進み、ウサギが目を覚ましたときにはカメはゴールに辿り着いていた。

一般的な寓話の教訓
思い上がって油断をすると物事を逃してしまう。 また、能力が弱く、歩みが遅くとも、脇道にそれず、着実に真っ直ぐ進むことで、最終的に大きな成果を得ることができる。

✔ カメはかけっこで勝負を挑んで良かったのか?
寓話では、たまたまカメが勝利しました。カメが勝負を挑んだ後の行動としてはお見事と言えますが、一方でこの内容で勝負を挑むべきだったのかと考えると微妙です。

カメは足の鈍さをバカにされて、ムキになってレースの勝負を申し込みました。まず、どこで戦うか、何で戦うかの観点では、自分が得意とするフィールドで戦うことが鉄則です。感情に任せて自分の1番苦手かつ相手の得意なフィールドで戦うのは得策ではありません。

現実では個人でも組織でも似たようなこと、つまり一時的な感情で不毛な戦いに参加してしまうことが起こりえます。時間もお金も労力も貴重な資源ですが、考え無しに不利な競争に飛び込んでは大きく消耗して、場合によっては不幸になってしまう可能性すらあります。

✔ 重要なテーマについては戦略的に考える
この本では、「戦略的」に物事を考えることを推奨します。戦略的とは、具体的には以下の2点です。

1.考える時間軸の長さ
2.考える論点の多さ

つまり、長い視点に立って、多くの論点を取り入れながら総合的な判断をする必要があります。大きなプロジェクトにしても、仕事のキャリアにしても、将来の人生の歩み方にしても、重要なことを考える際にはこの視点が重要です。

裸の王様が生み出す空気に勝てるか?

寓話の内容
ある職人が、この世で最高級の布で作った衣装ができると王様に売り込む。職人がいうには、その生地はバカにはみえない。王様は大臣のうち誰がバカかチェックできると閃く。

それを聞いた大臣たちは、その生地を見て「これはすごい生地ですね!」と口をそろえる。王様も、みんながそう言うものだから、生地が見えないにもかかわらず、「やっぱりすごいよね」と言ってしまう。誰も正直に言い出せず、ついには王様は裸でパレードをしてしまう。

そこに素直な子供が通りかかり、「あれ、王様って裸じゃね」と声をかける。

一般的な教訓
正直であることの大切さ。誰かが一人でも言い出していればこうはならなかったはず。

✔ 大臣は布が嘘っぱちだと言えたのか?

安直に考えれば大臣に正直者がいなかったことが問題ともいえますが、王様はこの布はバカには見えないすごい生地だと言っています。大臣にとってはバカ認定されることはクビに等しいかもしれません。封建的な社会である可能性を考えたら、一度キャリアを失ったら復活する可能性は低いです。そうなれば、大臣は一家で路頭に迷うことになります。

私たちには見たいものが見えたと信じてしまう能力があります。こうであって欲しい、と思っているとそんな風に世の中が見えてきてしまいます。現実は全く違うにも関わらず。

また、詐欺師である職人は当然バレたら死刑です。つまり、命がけの準備を周到にしてきています。さらに王様は素晴らしい生地だと予め言っています。こんな状況で布が見えないというのは色々な意味で困難を極めます。

とても本当のことが言い出せない「空気」が出来上がります。

✔ 必要なのは「論理的な判断基準」
山本七平の書いた「”空気”の研究」という本の中に、「私たちは常に、『論理的な判断基準』と『空気的な判断基準』の狭間で生きている」と書かれています。

「空気的な判断基準」は、その時の人間関係のようなもので徐々に形成されていきます。空気は宗教的絶対性をもって私たちに襲い掛かり、多くの場合「論理」は「空気」に負けてしまいます。

ここでの結論はシンプルです。つまり、我々はもっと「論理」を強化する必要があります。手強い「空気」を前にして、生半可な「論理」では勝てないことを自覚しなければなりません。難しい意思決定ほど、みんなも自分を取り巻く「空気」から逃れてゆっくり考える場所や時間が必要です。

会社と家の往復で生活が終わってしまうと、重たい「空気」から逃れられず、自分を客観視できない可能性が高くなります。

誰しも一度や二度は場の「空気」に負けた経験があるはずです。大事なのはそのことを記憶を保ち、時として同じ場面に戻り、今の自分だったらどういう判断をするかを当時の自分に問いかけることです。

いざという場面でいきなり空気に負けない「論理的な判断基準」で意思決定できる人はそうそういません。常にその判断を問い返しているからこそ、いざという時に正しい判断ができます。

オオカミ少年に罪はない

寓話の内容
羊飼いの少年が、退屈しのぎに「狼が来た!」と嘘をついて騒ぎを起こす。だまされた大人たちは武器を持って出てくるが、徒労に終わる。少年が繰り返し同じ嘘をついたので、本当に狼が現れた時には大人たちは信用せず、誰も助けに来なかった。そして村の羊は全て狼に食べられてしまった。

一般的な教訓
ウソをつくと、いざという時に誰にも信じてもらえない。正直であることが大切である。

✔ 村人はなぜ虚言癖のある少年を、羊番にさせ続けたのか?
「嘘をつく癖のある少年が問題だ」で片づけてしまえばそれまでなのですが、オオカミが襲ってくるような危険度の高い状況において、彼の役割は非常に重要です。それなのに、村人はなぜこんな信用できない少年を羊番に配置し続けたのでしょうか。

村人がバカだったから、と結論付けるのは簡単ですが、村人の視点に立ってみると別の考えが見えてきます。

村人がバカだといえるのは、我々がこの後オオカミが来ると知っているからです。当時の村が非常に平和だったら、オオカミのリアリティはなかったかもしれません。つまり、村人はオオカミが来る可能性を限りなく低く見積もっていた可能性があります。

当事者の立場で考えてみると、その立場なりの合理性が見えてきます。その視点で見ない限り、私たちは失敗から学ぶことはできません。

✔ 結局どう考えるべきだったのか
信用できない少年に重要な役割を任せ続けたということはつまり、今までオオカミが襲ってきたことはなかったと考えられます。今まで起こらなかった事が、すぐに起こると想像するのはなかなか難しいことといえます。

では村人はどう考えれば良かったのかというと、万が一にでもオオカミが来た時の影響についても同時に考えるべきでした。

我々は可能性を考えることばかりに目がいって、起こった時の影響の大きさを見逃しがちです。そして、実際に経験したことのない出来事は、影響を小さく評価する傾向にあります。未経験の出来事を実感を持って想像するのは難しいためです。

起きる可能性が高くて影響が大きいことは当然ですが、起きる可能性が低くても、起きたら甚大な影響が想定される出来事はしっかりと対策をすることが重要です。

感想

考える指針を持つ

まだ3つの寓話ですが、随分と学べることが多いです。物事について具体的な事例をなるべく多く知っておくことももちろん重要ですが、まずは柱になる指針をしっかりと押さえるのもまた重要に思います。

そういう意味で、大事なことは「戦略的に考える」ことの重要性にはとても共感します。もともと長期的に考えることは意識していますが、論点の多さも考慮に入れるのは当然ではあるものの重要性を再認識しました。

論点の多さを考えに織り込もうとすると、頭の中だけで考えるのは相当に難しくなります。書くなり人と話すなり、アウトプットをしながらじっくりと考える癖を少しずつでも身に付けることを心がけたいところです。

また、同様に優先順位付けを意識することも重要です。
✔ 変えられない制約条件
✔ 重要な要素(意思決定権者が重視している判断要素、自分にとって価値観の軸になる要素など)
✔ できれば加味しておきたい要素

上記を全て同様の水準で考えてしまうと、できれば~の要素を入れようとしてより重要な項目に支障が出てしまい、要するに判断を間違うことになりかねません。

また、好戦的な議論を好む方の中には、優先順位や物事の重要度を無視してとにかく反対意見を出しまくるタイプの方もいます。そういった場面に出くわしたときには、優先順位や重要度を明示してきっぱりと反論できれば、実のある話し合いになりやすいかと思います。

空気を捉える

人間関係の中で生きる以上、よっぽど図太い人ない限りは空気を完全に無視するのは不可能のように思います。それをやるのは得策でもありません。

空気を捉える癖をつけておかないと、空気に流されていることに気づくことすらできません。また、そんな「空気」に仮に気づいたとしても、流されずに対処するのも簡単ではありません。

しかし、空気に流され続けていると、チームでとんでもない誤った仕事をしてしまったり、自分にとって極めて大事なことすらも価値観を無視して周りに流され意思決定してしまうことがあり得ます。本当に譲れない大事な場面で、自分の信念に従った道を選ぶために、普段から空気を捉えて、多少なりとも空気に流されない行動をする練習をしておくことも大事です。

その人が「なぜそうしたか」

オオカミ少年の寓話パートのこの本におけるメインの教訓は、「発生可能性だけでなく影響度も考慮せよ」になるかと思います。

加えて自分は「村人が少年を重要な羊番にし続けた理由」に納得しました(今までオオカミが来たことがなかったので、まさか本当にオオカミが来るとはみんな思っていなかったため)。

何か問題が起こると、後出しで「なんてバカなことを」という意見が出ることが往々にありますが、いざ当事者の立場に立ってみると、その行動を選択するに至るそれなりの理由があることが度々あります。

後出しで、かつ外野の立場から文句を言うのは簡単なのですが、結局問題の真因に辿り着けず個人攻撃をするだけで終わってしまいがちです。そうなると問題に自責で向き合って手を動かす人から順にいなくなり、声の大きい人だけが残ってしまったりします。

まず当事者だったらどういう世界が見える状況だったのかをしっかり考えると「誰が悪い」で終わらずに問題解決の新たな糸口が出てくることが多いです。

最後までお読み下さりありがとうございます!

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