【読書ログ】藁を手に旅に出よう(2/4)

全4回予定の2回目です。今回はSession4から6までです。
Session1~3はこちらから。


要約

桃太郎に大義はあるのか?

寓話のあらすじ
桃から生まれた「桃太郎」が、お爺さんお婆さんからきびだんごをもらって、イヌ、サル、キジを従え、鬼ヶ島まで鬼を退治しに行く物語。

一般的な教訓
悪い者は成敗されるという勧善懲悪的な教訓。桃太郎がリーダーとなり、他の登場人物が桃太郎をフォローしたから鬼を退治できたというリーダーシップの重要性。

✔ 動物たちはなぜ桃太郎についていったのか?
動物たちは危険が想定される鬼退治に何故ついてきてくれたのでしょうか。真っ先に思いつくのは「きびだんごを渡したから」ですが、きびだんごはおばあさんがさっと作ってくれたもので、高価なものでもないはずです。動物たちは鬼退治というビジョン・目的に共感したと考えられます。

人は大きなビジョンに共感すると、大きく動機づけられて報酬を重視しなくなる傾向にあります。ハーズバーグのモチベーション理論では、仕事の満足度は「衛生要因」と「動機づけ要因」の2つに分けられるとされています。

【衛生要因】
お金や働く環境など。仕事の不満足を打ち消すことには繋がるが、満足状態を生み出すことにはならない。

【動機づけ要因】
達成感や周囲からの承認、仕事の意義など。仕事の満足度を高めることに繋がる。

いずれか一方だけではバランスが崩れて、モチベーションを保つことはできません。この両方を操作することが必要になります。給料が高い職場でも、仕事のやりがいがないと人は定着しないことが頻繁に起こります。

桃太郎に話を戻しますが、きびだんごは衛生要因であり、不満足を打ち消しただけにすぎません。これに鬼を倒すという大義が加わり、動機づけ要因も同時に満たしたと考えられます。

✔ 桃太郎に大義はあるのか?
この寓話、実は大事な描写が欠けています。鬼が何かを壊したとか強奪したとか、要するにどんな悪さを働いたのかという事実についてほとんど書いていないのです。つまり、何か悪さを働いたという噂があり、どうもそいつは力が強くて怖そうな顔をしているという推測だけで退治に行ってしまったのです。ここに大義はあるのでしょうか。

このストーリーは社会のあちこちに転がっています。対立構造を作り、そいつらを倒すとか、思い知らせてやるという大義です。敵がいると社会の運営はとても簡単になります。人々がその大義の下に一丸になりやすいためです。

しかしこの方法には致命的な欠陥があります。敵を倒すと大義が消滅してしまうことです。すると大義を保つために新たな敵を探し出す必要があります。外部に敵を作ることにより組織は一丸となりますが、外部に適当な敵がいなくなると、内部に敵を作り出す必要が生じてしまいます。

敵という存在は、ネガティブな感情がドライバーになります。「悪い奴」「あいつら許せない」などネガティブな感情を言葉にするリーダーがいると、いつ自分が対象になるのか内心とても落ち着かなくなります。

✔ 桃太郎はどうすれば良かったのか
鬼が悪い存在であることを裏付ける事実を確認しないまま、いきなり退治しにいくのはさすがにまずいです。鬼側からしたら桃太郎こそテロリストともいえます。桃太郎はどうすべきだったのでしょうか。

とにかくまず対話が必要です。話が通じるという前提で、もし悪行の噂があるならば、その事実関係を問いただします。

もし本当に悪いことをしていたのであれば反省を促すことが必要ですが、その後は目的を持った対話が重要になります。対話では共通項があるとうまくいきやすくなります。そして1番強力な共通項が「世界観」です。

どういう世界を実現したいか、という世界観が共通であれば、お互いに共通認識ができて分断のワナから逃れることができます。

スペインの思想家であるオルテガは「大衆の叛逆」という著書で、敵と共に生きることや反逆者とともに統治することの重要性を説き、どんなに敵だと見えても、一緒に生きる選択をしろと訴えました。オルテガはスペインの内戦を目の当たりにして、分断社会の危険性を深く理解していたためです。

人は対面していると、いろいろな違いばかりが見えてきます。フェイス・トゥ・フェイスではなく、隣に座りあい、サイド・バイ・サイドに同じ方向を見ながら共通項を語り合うことが必要です。

北風は相手への憑依が足りない

寓話の内容
北風と太陽が、どちらが偉いか口論し、旅人に着物を脱がせたほうが勝利者であるということになる。まず北風が旅人に強く吹き付けるが、強く吹けば吹くほど、旅人は着物をしっかり押さえ、さらにもう1枚身にまとうので、北風はあきらめる。次に太陽が暖かく照らすと、旅人はあっさりと着物を脱いでします。

一般的な教訓
無理やり力づくで人を動かそうとしても動かない

✔ 北風に足りなかったもの
結論として、北風には「相手」の理解が足りませんでした。相手がいる場合の目的の達成には、「目的」「相手」「手段」の3つの要素が非常に重要になります。

北風は冷たく強い風を吹かすという強力な「手段」を備えていたため、その方法に固執してしまい、その手段をとると相手がどういう行動に出るか考えることを怠ってしまいました。結果として着物を脱がすという目的は達成できませんでした。

✔ プレゼンの目的は何か
プレゼンについても似たようなことがいえます。「上手なプレゼン」といえば、流暢に話す、堂々と振る舞う、身振り手振りを交えるなどのイメージがわかりやすいところで思い浮かびます。

一方で、プレゼンというのはあくまで手段です。大事なのはプレゼンの「目的」と、「相手」の間に生じるギャップを理解し、その間を埋めるような働きかけをすることです。

✔ モノを売る場合に必要なこと
何かを売りたいときには「どうすれば売れるか」からいきなり具体的な手段を考え始めがちですが、上述の通り「目的」「相手」「手段」の3つの整合を取ることが必要になります。

モノを売りたければ、まずは相手を理解することが必要になります。その後、どのような手段を使えば良いかを考えます。そのためには、需給関係を正しく捉えることが重要です。相手に需要を作り出せれば、あっさりと買ってくれるケースが多いです。しかし、こちら側を出発点に考えてしまうと、手段や供給をメインに考えてしまいがちです。

✔ 具体と抽象の引力
手段やプレゼンは具体的です。目に見えますしすぐに行動に繋げやすくイメージもつきやすいです。であるがゆえに、具体的なものは強力な引力を有します。

しかしながら、目的などの抽象的なものも同じように、場合によっては具体的なものよりも重要だったりします。そもそもの目的を間違えると、どんなに手段を完璧にしたとしても、結局やらなくていいことを貴重な労力を割いていた、なんてことになりかねません。

一旦具体的な手段のことは忘れて、抽象的な目的、需要などをしっかり考えることが重要になります。抽象はわかりづらいので放っておくと忘れてしまうため、なおさらです。そのあとで具体的な手段への繋がりを考えることが必要になります。

藁を手に旅に出よう

寓話の内容
ある貧乏な人がいるが、働いてもちっとも豊かにならないため観音様に祈る。観音様から「最初に触ったものを、大事に手にもって旅に出なさい」とお告げを貰う。そうして旅に出るが、最初に触ったものは、なんと転んだ時に手元にあった「藁」だった。

仕方なくその藁を手にした男は、顔の周りを飛んでいた煩わしいアブを藁に括りつける。そうしたら、そのアブ付きの藁を欲しがる男の子に出会う。男はその母親と、藁とミカンを交換する。

その後誰かと出会う旅に持ち物がアップグレートしていく。ミカンは反物になり、馬になり、屋敷に代わってお金持ちになる。

一般的な教訓
モノを大切にする重要性。前向きに生きることの重要性。
おまけ:話の都合がよすぎる。何もこの話から学ばなくても良いのでは?

✔ 成功ストーリーを聞いた時に、やってはいけないこと
わらしべ長者的な成功談を聞いた時に、典型的なやってはいけないアプローチが2つあります。

1つは深く考えずに「このケースは自分と違う。だから学ぶことはない」とフタをしてしまうパターンです。自分と属性に重なりがなく、距離感のある人の話はこの手の思考パターンに陥りやすいです。

もう1つは、「学びはあるかもしれないけれど、悔しくて考えたくない」と捉えるパターンです。1つ目と逆で、属性が近いと起こりやすく、つまりは嫉妬の感情を抱いてしまっている状態です。

✔ 「組み合わせ」と「マイクロスキル」
わらしべ長者の最初の成功のポイントは藁とアブをくっつけたことです。藁のみではおそらく男の子は興味を示さなかったでしょう。

経済学者のシュンペーターは、イノベーションを「新結合」と定義しました。つまり、イノベーションといえどゼロから新たな発見をするという大げさなことではなく、既存のありふれたモノ同士をくっつけるだけで新たな価値を生み出すことができるといいます。

人に当てはめれば、スキルや経験、性格を「組み合わせる」ことで、強みに繋げられる可能性があります。さらに寓話では、たかが藁とアブとくっつけただけで成果につながったという点にも着目できます。

一般的に「スキル」というと、英語や営業力など、わかりやすくすごいスキルを連想します。しかし、どんな人が相手でもまず聞いて理解しようとする力や、言いづらいことを躊躇せずに伝えられる力など、些細ではあるものの、徹底できていると非常に頼もしい能力もあります。著者はこのような能力を「マイクロスキル」と呼びます。

✔ 付加価値を決めるのは自分ではない
というわけで「マイクロスキル」を「組み合わせる」ことで付加価値を発揮できる可能性があります。一方で、これが自分の話になると途端に難しくなります。真面目な人ほど、「こんなのを付加価値と誇って良いのだろうか」と謙虚に考えてしまうことがあり得ます。

ところが、北風と太陽の寓話のところで述べた通り、それに価値を見出すのは自分ではなく相手の仕事です。「自分にとっては価値がない、又はあるのかないのかわからない」ことでも、相手が喜んでくれるのであればそれは立派な付加価値といえます。

スキルというとついつい、あの人の方が賢そう、できそうだ、と些細な違いを人と比べてしまいがちです。しかし、実はそれはほとんど誤差の範囲で、需要のある適切なタイミング、場所で、適切な付加価値を提供できれば、本人の想像以上の価値を発揮できるものです。

自分のマイクロスキルは意識しつつも、それを求める人が場所、タイミングも併せて意識しましょう。

感想

「分断の回避」と「世界観」

桃太郎の章がこの本で大きく印象に残っている1つになります。今まで組織でもコミュニティでも人間関係のグループでも、分断の構造を何度も目にしてきました。無意識に「俺たちとあいつら」のような構造を語る人もいれば、意図的に分断の構造を作り出す人もいたように思います。

分断の問題点は上述の通りですが、世の中に「敵」がいると考えてしまうと、その対象についてネガティブなことを考えるのにエネルギーを消耗してしまいます。敵ではなく、あくまでも自分と違う価値基準で行動している人がいるだけ、と考えれば、合わない人に焦点を当てて消耗してしまうことも若干ながらも減らせるように思います。

「世界観」はこの本を読むまであまり意識したことがなかったため、非常に大きな気づきになりました。自分がどんな世界を作りたいと思うのか、そのために何を勉強して今何ができるのか、これを言葉で説明できるようにしておくと、応援してくれる仲間も増やしやすいのかもしれません。

「目的」「相手」「手段」

自分は人と話すときは、自分の基準、目の前の相手の基準、世間一般の基準の3つを意識するようにしています。自分勝手なことばかり話しては共感を得られないのは当然ですが、世間で言われる一般論だけ話しても当然ながら相手に響く話はできません。かといって相手に迎合するだけでも深い話はできないかもしれません。この3つを意識して組み合わせると意義のある話がしやすいように感じています。

そういう意味で、「目的」「相手」「手段」も非常に広範に使えてかつ重要な要素に感じました。特に「目的」は抽象的なのでついつい忘れてしまいがちです。仕事や問題解決に限らず、趣味や人と話すときにも目的を意識すれば、発言や行動に意味を持たせやすいのではないかと思います。

と言いつつ「常に目的をもつべきで、それにそぐわない行動をすべきではない」とまで言うつもりはありません。ちょっと迂回したりムダなことから新しく楽しいものが見えてきたりもします。肩肘張らずに楽しむことを心掛けたいところです。

自分の強みは何なのか

マイクロスキルと、その組み合わせは非常に面白い気づきになりました。聞く力や、決めた後はフットワーク軽く動くようにするところ、専門を絞らずに仕事をすることなどを意識していますが、相手に喜んで貰えたり仕事がうまくいった際には、それをメモしておくとマイクロスキルに気づきやすくなるように思います。

また、仕事の成果は結局のところ相手やその場が必要とするものを提供できたかどうかという側面もあるため、自分が価値があると思っていても、周りの反応というのも常に意識したほうが良いと改めて感じました。とはいえ、いくら周りが求めていても自分がやりたくないことをやるのは持続性がないため、やりたいことと求められていることのバランスも重要です。

長くなりましたが、一部カットしている部分もあります。藁しべ長者で「なぜ藁を手放してしまったのか?」といったくだりもあるのですが、この部分も非常に良い内容なので興味のある方はぜひ読んでみてください。

最後までお読み下さりありがとうございます!

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