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鬱病はガッツが足りない甘えである

我輩は鬱病である

私は鬱病である。自傷行為をしてしまったこともある。本気で死にたいと思ったこともある。だが、パートナーに言わせれば私は至ってまともらしい。本気で死にたいのであれば確実に死ぬことのできるように樹海にでもいくだろうとのことである(私はその人はそこまで行けるなら元気な人やなあと思った)。自傷行為も死のうと首をくくることも死ねないならいいかげん諦めてくれ、面倒臭いからということだった。

パートナーによると人々は皆苦しみがあり、鬱と普通の狭間でなんとか頑張っているという。生活が保障されている日本にいてお前は人生を”生きる”ことをせずに何をしているのかと叱責された。

ここ最近の私は調子が非常に良く、二週間連続で過呼吸で倒れ込んでしまい救急車のお世話になっている。歩くペースも遅く、何をするにも億劫で、ネガティブな感情以外の感情は心を置き去りにしてしまったみたいに感じられた。


私がここまでひどく鬱病になったのはここ2、3年である。鬱病というのは身体的な症状も出るのだと初めて知った。だが、それを経験したことのない人にその辛さを説明することは難しい。また、その人が経験したことがないかどうかもいまいち分からない。

風邪をひいてしまった時、高熱があっても平然としていられる人もいる。ある人はとても耐えられたものではないと痛み止めを求める人もいる。そもそも風邪をひいて頭痛がある人もいれば腹痛だけある人もいる。



要するに痛みは本人にしか分からないのである。だが、私は声を大にして言いたい、鬱病は甘えなんかではない。


だが、私はパートナーの言葉に落胆した。「薬を飲んでいたってよくなっていっていないじゃないか、やりたいことがあるならそれに力を注げよ。死ぬほどのことなんてお前に起こってないだろう。死ぬほどのことではないだろう」

私は正直なところ、次に死ぬことを試みる時はしくじらないとどこかでわかっている。なぜなら、パートナーはもう心配することも助けることにも飽き、自分にとってトラブルでしかないと自分ごとしか考えていない。もう私は誰にも必要とされておらず、楽しいことも見出せない心理状態だからである。
だが、私はまだなんとか思いとどまっている。なぜなら、私が死んでもパートナーは悲しむことはせず、「ああ、面倒臭い。馬鹿馬鹿しい、死ぬことなんてなかったのに。本当に愚かだな」と言うだけだと容易に想像できるからである。





私は人の長所、短所を見つけることが得意だ。人の痛みもエンパスのためかHSPのためか少しは分かる。もし私と同じ状況の人がいるのであれば、あなたを私は何とかして少しでも救いたいと思う。助けてもらえない苦しさは分かっている。だから、あなたを助けたい。


私にできることは微々たるものです。鬱病であるため、社会人でありながら、仕事は週3のアルバイトです。
あなたに私ができることがあるとするのであれば、
・少し英語を教えること、英語での会話練習に付き合うこと(日常会話程度レベルです)
・日本語教師資格を一応取得しているので、日本語を教えること(教えることはうまくありませんが、あなたの根気が続くのであれば続く限りあなたがきちんと理解できるまでお付き合いします)
・ハグをすること(毎日シャワーを浴びているので臭くはないはずです。体臭がきついと言われたことは一度もありません)
・話を聞くこと。
・相談にのること(私の価値観は人のそれから良い意味にも悪い意味にも乖離しています)
・旅行計画を立てること(25カ国旅行経験あり、国内も駆け回った経験あり)
・情報をぽちぽち集めること(みんな同じかも知れませんが、気になった情報については徹底的に調べます)

その他、もしリクエストがありそれが私の能力の範囲内であればお力になります。


まだ見ぬあなたのために、もう少しだけ生きようかなあ、と





clowdy


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