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あなたはあなたの美しさを信じてる?;美しさの再定義

あなたはあなたの美しさを信じていますか?

「あなたはあなたの美しさを信じていますか。あなたはあなたの美しさを信じ切ることができますか」

もしその答えがイエスであったとして、ノーであったりして、そもそもあなたにとっての美しさとは何を指すのでしょうか。


美しさとは何か

美しさとは辞書ではどう定義されているのかをはじめに見ていこう。

まずは日本語の辞書からである。

美しい:「色・形・音などの調和がとれていて快く感じられるさま。人の心や態度の好ましく理想的であるさまにもいう」 

出典



次に英語beautiful の意味を見ていく。

beautiful: very attractive, very pleasant, very kind 

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まとめると、美しさというのは快く感じられる好ましいものをいう。




固定された美しさたち


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美しさの意味については前述した通り、快く感じられる好ましいものを指す。だが、ここで問題となってくるのは昨今では美しさが固定化されてしまっているということだ。


日本ではスラッとした筋肉質ではない細身の体型が女性として美しいとされる。男性では細マッチョと呼ばれるような細身のソフトマッチョが美しいとされる。一方で欧米ではトレーニングで引き締まった管理された体が女性として美しいとされる。男性では鍛え抜かれた男らしい筋肉がしっかりついた体が美しいとされる。

こういった美しいとされるものたちはインスタグラムやテレビ、雑誌を埋め尽くし「私たちはモデル。私たちが美しさのモデルなのだ」と主張する。

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だがここで改めて考えてほしい。

美しさに正しさは、モデルはあるのか?

マジョリティがそれを「快く感じられて好ましいもの」であるとしたとして、それだけでマジョリティが正しい、マイノリティは尊重しないでよいとされるはずがない。

最近ではリアルサイズモデルやボディポジティブという言葉も登場し、マイノリティーの中のマジョリティーが氷山の一角のように頭角を表し始めている。それでも全てが受容されてきているわけではないように思える。


美しさは形を変えそれぞれ異なるところに宿る。

ひょっとするとある人はそれを見ることができない、見つけることができない。その事実がそれが美しくないという証明にはならない。

それゆえ私たちは自分自身の美しさを信じなければならない。

または最近提唱されているボディニュートラルのように少なくとも自分自身を受容することが大切である。たとえ不完全で美しくなくともそれでもいいのだ、と。

だが私は声を大にして言いたい。あなたは美しいと。

私は美しい、あなたもまた美しい

私はマジョリティーがいう容姿端麗ではない。「かわいい」や「綺麗だ」といったような言葉をもらったことも片手で数えられるくらいだろう。

だが誰かにとってそれが少数であろうとも私は美しいのだ。もし自分自身がそう信じることができずとも、あなたを美しいとする人が必ずいる。その人はもしかしたらあなた自身かもしれない。


自分の中で最高である自分を演出している私は美しい。私がマジョリティー受けしない?私は誰とも異なった美しさをもっているのよ。それって最高じゃない?」


そうみなが言えるようになったならと切に願う。


私たちは生きている限り表現者である。あなたは美しい、どうかそれを埋もれさせないで。



cloudy







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