近江八景: 滋賀・京都の旅1-2



「近江八景」というのは、中国の「瀟湘八景」に由来します。瀟湘は湖南省長沙市一帯の地域の8つの名所で、山水画の伝統的な画題になっています。
一方、近江八景は、瀬田の夕照、矢橋の帰帆、粟津の晴嵐、三井の晩鐘、唐崎の夜雨、堅田の落雁、比良の暮雪とされ、琵琶湖湖畔の8つの名所です。実際の近江八景は短時間では車でもなければ回りきれず、代わりに広重の描いた「近江八景」を見てみたくて、大津歴史博物館へ行ってみました。近江新宮前駅から京阪石山坂本線に乗り、大津市役所前で下車し、市役所裏手の高台に大津歴史博物館はありました。

歌川広重の近江八景<魚栄版>は小型(縦36.0cm×横24.5cm程度)で、観光案内の色鮮やか挿絵のようであり、幕末の安政4年(1857年)頃の人々の目を楽しませ、遠方から近江八景に旅をしたのだろうと想像しました。受付の方が、親切に応対してくれて、博物館の印象は良かったです。

なお、私が「近江八景」に興味をもったのは、ラフカディオ・ハーン『怪談・奇談』(田代三千稔訳・角川文庫・1956年)に収録された『果心居士(かしんこじ)の話』(下記あらすじ)を読んだのがきっかけでした。

「織田信長が京都を治めた天正年間、主人公の果心居士が描いた画中のものはすべて生きているように見えたので評判になった。果心居士は信長から呼び出されたが、信長が謀反で殺されると、明智光秀からも呼び出された。光秀の酒宴でもてなされた果心居士は、「近江八景」をかいた大きな八枚屏風の前で、お礼のわざを披露した。八景の一つに、湖上はるかに一寸にも足りない一人の男が舟を漕いでいる図があった。果心居士が、小舟に手を振ると、突然舟は向きをかえて、絵の前景に動き出し、ほんの近くまで迫ってきて、ついには絵から部屋の中へ、(琵琶湖の)湖水が溢れ、部屋が水浸しになり、腰まで水に浸かった。やがて、船は、果心居士のそばまで来て、果心居士はそれに乗り込んだ。船頭は向きを変え、非常に早く向こうに漕いで行き、舟が遠のくにつれて、部屋の水も急に減り、再び屏風の中に引いていった。やがて、絵の中の舟は遠く小さくなって、湖の沖合で一つの点となり、全く見えなくなった。それ以来、果心居士の姿は、日本では見られなかったという。」

余談ですが、第6回文展に出品された、横山大観の『瀟湘八景』(大正元年(1912)作)については、夏目漱石が「気の利いた様な間の抜けた様な趣」があると評したことでも有名です。




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