最悪な自分に出会って、最高の人に出会えた話

人は自信を失うと声が小さくなる。
私はある職場で、ほぼささやき女将のような状態になってしまったことがある。それはもう悲惨だったけど、その職場で今のパートナーに出会ったのだから人生は分からない。 


その仕事は、パソコンを使った簡単な入力作業。自分以外の数人は専門職で、もちろん私の業務も把握しているし、それ以外の複雑そうな業務を淡々とこなしているという仕事場だった。
私は自分に課せられた作業をして、空いた時間はテレビを見るか、ぼーっとしているか、だれかと話すことができる。
空き時間は長いのだが、定期的に作業が入るので細切れだ。
決まった事をひたすら繰り返すだけだ。
一日7、8時間の仕事だったけど、それは無限に長く続くように感じた。

職場はほぼ男性で、四十を過ぎた方が多かった。親切な方ばかりだったのに、私はなぜか最後まで打ち解けられなかった。
いつも緊張していて、単調な繰り返しの一日よ早く終われと考えていた。
学生時代から男子との関わりが少なく、苦手意識があったので身構えたのかもしれない。そのまま自分の殻に閉じこもってすごく小さな声でしか喋れなかった。

いつも隣で作業する、七十歳のおじさま米田さんこと「よねさん」とは少し仲良くなった。
その道のベテランで、今は第一線から退き嘱託社員として働いている。
仕事には厳しいけどお茶目な人で、若年女子の私にかなりやさしく接してくれていた。人の少ない職場なので辞められては困ると思ったのかもしれない。昼食を並んで食べ弁当の肉をもらったり、お菓子をつまみながらテレビを観てちょこちょこ話したりした。
今でもあの優しさは有り難かったなと思う。

よねさんは仕事場の男性と雑談し、じゃれ合い(そう見えた)、たまにゲキを飛ばし、年の離れた後輩をからかっていた。

そんなよねさんに可愛がられる三十代の男性社員がいた。Uさんである。
Uさんは見た目が爽やかなだけでなく、気配りができ明るい方だった。
パソコンの前でずっと停滞しているような私の目に、身軽に動きまわる彼はまぶしく映った。
私は色白の人が好きだったので、Uさんにほのかな好意を寄せていた。

そしてもう一人、Uさんと同年代らしき
Mさんという男性がいた。
Mさんは眼鏡をかけており、いつもチョロチョロ動き回る印象があった。
たぶん腰を低くして足音を立てずに移動するからだろうが、いつだったか「こそ泥みたい」と揶揄されていた。
よねさんはMさんを「よく分からんヤツ」と思っているようで、たまに叱っていた。
確かにMさんは独自の人だった。
飄々とした雰囲気で、分かりやすい愛想がないので年配の男性とは相性がよくないのかもしれない。

そのうち私は、Mさんが低い声で放つ一言が、凄まじくおもしろい事に気付いた。
それは時に失礼スレスレのきわどい内容だが、ほぼ全部自分の笑いのツボにストライクしてくる。
Mさんは面白い人だなと思った。
仕事場でオドオドして大人しかった私が、彼の一言にはお腹を抱えて笑っていた。
Uさんにはドキドキ苦しくなり、Mさんは「笑わせてくれる有り難い人」だった。

数ヶ月共に働いた後、
その二人が職場を辞めると知った。

私はUさんとMさんの連絡先を聞いた。
去る人だと思えば行動しやすいのだ。
かねがねMさんの話をしていた私の家族は、口を揃えて「絶対にMさんの連絡先を聞いてこい」と言った。
自分の仕事が終わってから、Mさんを長い時間待ち伏せしてLINEを交換した。
Mさんはただただ驚いていた。
いや、たぶん怖かったのだろう。
私は、なぜか大きな仕事を終えた後のような達成感を覚えた。
Uさんとは短いLINEのやり取りで終わってしまったが、Mさんとはそれから毎日会話が続いた。楽しかった。
二人で出掛けるようになり、長電話をし、その後お付き合いすることになった。

Mさんのことを始めて“ちゃんと”見たのはいつだったのだろう。
彼は私が不慣れな業務に関わる時、仕事の手順をていねいに書いたメモを渡してくれた。字がとても綺麗だった。
仕事場に生のパスタを持ち込み調理に苦心していたのは、後で聞くと周囲を笑わせる為だったらしい。
時に殺伐とした空気になりやすい職場で、
楽しい事を見つけようと努めていたことを知った。
それを聞いて彼がますます好きになった。

自分史上もっとも居心地の悪い職場で、
私は自信を失った小さな声で、自分にも他人にも迷惑をかけたと思う。
だけどこうして彼と出会え、結婚して楽しい生活が送れているのだから、あの日々は無駄ではなかったのだろう。
むしろ自分に必要なものだったのだ。
そう思い込むと人生そのものを肯定できる気がする。

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