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Anselm Kiefer:Opus Magnum について

表参道駅の近くにある Fegus McCaffrey で開催されているアンゼルム・キーファーの展示を観た。

絵画史に対してなのかマーケットに対してなのか何に対してなのかは分からないが、無防備な絵だ、、そして、それをたくさんのシンボルで武装している、、、というのが最初の印象だった。

しかしその時は、散りばめられた数々のシンボルの意味がまったく分からなかった、帰宅して、一から調べ始めた。

この展示には《罌粟と記憶_パウル・ツェランのために (日本語題) 》という作品が設置してある。先ずは、パウル・ツェラン詩集/パウル・ツェラン 飯吉光夫訳編 を覗いてみた。

パウル・ツェランの詩集『罌粟と記憶』は十一篇の詩から成り、その中にある「日陰の婦人のシャンソン」という詩は、次のように始まる。

だまったままのあの婦人がやってきてチューリップたちを首刎 (は) ねたら――――――

だれが勝つ?
  だれが負ける? 
    だれが窓べにあゆみよる?
だれが最初に彼女の名をよぶ?

(「日陰の婦人のシャンソン」より)

その隣に並ぶ「光冠 (コロナ) 」という詩には、次のような句がある。

ぼくらは抱きあったまま窓のなかに立っている、みんなは通りからぼくらを見まもる――――――

知るべき時!

(「光冠 (コロナ) 」より)

罌粟(けし) /ポピーは、古来より睡眠薬として日常的に用いられ、現在でもモルヒネとして医療に活用されている。

またギリシア神話には、地獄の神 (プルトン) に娘 (ペルセポネ) を連れ去られた女神  (デメテル) が心労で疲弊して、眠れなくなっていたところ、それを憐れんだ眠りの神 (ヒュプノス) が罌粟の花を贈り、これによってその女神 (デメテル) は心の平静と安定した眠りを取り戻した、という物語がある。

そして、ツェランの詩「光冠 (コロナ) 」の中には「ぼくらは愛しあう、罌粟と記憶のように、」という句がある。

花言葉の通り、罌粟には「いたわり/思いやり」という意味が込められている、と解釈してみる。

さて、画家も鑑賞者も、神話や宗教に基づいたある種のイコノグラフィー (図像学) を常識的に共有していた時代があったそうだ。しかし神話や宗教に疎く、日本に暮らす私には、キーファーの展示に散りばめられたシンボルの意味がまったく分からなかった。先ずは、ヒルデガルト・クレッチマー著『美術シンボル事典』を参照してみる。

【ガラス】水晶やガラスは、その透明性から光の象徴とされる。たとえば神の手にある透明なガラス球体は、天国の明るい世界の象徴である。_______ガラスはどのようなものも通過させながら、なお自らは傷つくことがないので、マリアの処女受胎のシンボルとなった。たとえば受胎告知のさいには、一本の百合の入ったガラス花瓶や光線の射し込む窓ガラスが描かれる (ロベルト・カンピン:メロードの祭壇画、1425/30年頃、ニューヨーク、メトロポリタン美術館) 。

(ヒルデガルト・クレッチマー著『美術シンボル事典』より)

イコノグラフィー (図像学) をツェランの詩の解釈に応用して、

通りから、窓ガラスの向こうに何を見まもるのか? 通りのものは、心の平静と安定した眠りが保たれるだろうか? 私は、窓べにあゆみよるだろうか? 雨風凌いだもの、傷ついて割れたものとは? 見まもる、見ることとは? 

見る、、、ここで、カトリック教会の司祭でもあったミシェル・ド・セルトー (フランスの歴史家/哲学者) の著『日常的実践のポイエティーク』第13章_ 信じること/信じさせること_ にある句を思い出した。

P. 406 「わたしは信じるということばが好きだ。普通ひとが〈知っている〉と言うとき、ひとは知っているのではなく、信じているのである。」(マルセル・デュシャン『デュシャン・デュ・シーニュ』一九七五年、一八五ページ)

P. 425- これらの物語は見ることを信じることに変え、にせもの〔見せかけ〕を使って現実を製造するという摩訶不思議な二重の力をそなえている。二重の転回が起こっているのだ。いっぽうで近代は、そのむかし軽信をしりぞけて、視 (ヴユ) と現実のあいだに契約をうちたて、見られたものこそ現実であるとし、事物を観察しようという意志とともに生誕したにもかかわらず、いまやこの関係を逆転させて、まさに信じるべきことを見せつけている。フィクションが視ること (ヴィジョン) の領域と地位と対象を規定しているのである。メディアやコマーシャルや政治的な見世物はこのようなしくみで成り立っている。

(ミシェル・ド・セルトー『日常的実践のポイエティーク』より)

日本におけるH.P.V.  (ヒト・パピローマ・ウィルス) ワクチンの摂取を想像して、

エコーチェンバー現象を想像して、

ネット上での炎上や言葉によるリンチ (私刑) を想像して、

魔女狩りを想像して、

治安維持法を想像して、

あの展示に《ミラーの法則 (日本語題) 》という作品が設置されているのを思い出す。

マジカルナンバー 7±2 (ミラーの法則) とは、心理学者のジョージ・ミラーが提唱したもので、一度聞いただけで直後に再生するような場合、日常的なことを対象にする限り記憶容量は7個前後になるということを示した。この7個というのは情報量ではなく意味を持った「かたまり(チャンク)」の数のことで、数字のような情報量的に小さなものも、人の名前のように情報量的に大きな物も同じ程度、7個(個人差により±2の変動がある)しか覚えられないという法則のことだ。

(Wikipedia より)

マジカルナンバーについては、ヘンテコな二項対立や戦争を可能にする仕組みと深く関わっているはずだと考えているが、書きたいことがたくさんあり、この展示の話に帰って来れなくなる気がするので、別の機会に書くことにする。

さて、《魔女の秤 (日本語題) 》というタイトルの作品が二種類設置されていたが、その内の一つは、胎児の入ったガラスのキューブを秤にかけている。前述のヒルデガルト・クレッチマー著『美術シンボル事典』に習えば、ガラスはマリアの処女受胎のシンボルであり、光のシンボルである。ガラスのキューブはマリアの腹を意味し、キューブの中の胎児はイエスを意味するだろうか? 

光の胎児? 

闇の極まるところに光の兆しあり?

岩明均の漫画『寄生獣』を思い出し、

映画『ホテル・ルワンダ』の「何故、女も子供も皆殺しにするのか? 根絶やしにするためだ、、」という旨の台詞を思い出し、

映画『炎628』で、主人公の少年がアドルフ・ヒトラーの赤ん坊の頃の写真をライフル銃で撃ち抜かなかったシーンを思い出し、

ジョン・メイナード・ケインズの著『平和の経済的帰結』を思い出し、

復讐、仇討ちについて、チェーザリ・ベッカリーアの『犯罪と刑罰』や『ジャック・デリダの講義録 死刑 I 』もじっくり読みたい。

さて、この展示には《ヨハネ:光は闇の中に輝いている。闇は光を理解しなかった。 (日本語題) 》というタイトルの作品が設置してある。

この展示の日本語題では「闇は光を理解しなかった。」と訳されている個所が、私の手元にある新約聖書では「闇は光に勝たなかった。」と訳されている。図書館で幾つかの日本語訳の新約聖書をざっと覗いてみた限り、今回ここに引用した田川建三氏の訳を含めて、以下の三種類の訳があった。

1.「闇は光を理解しなかった。」
2.「それは光をとらえなかった。」
3.「闇は光に勝たなかった。」

田川氏の翻訳がギリシア語からの日本語訳であることの意味についても後々調べたいし、まだまだ田川氏の註を理解出来ている気がしない、しかし惹かれた、たまに読み直す為にも、田川氏の翻訳を引用した。

新約聖書 ヨハネ福音書 第一章  1-5
 
はじめにロゴスがあった。そしてロゴスは神のもとにあった。そして神であったのだ、ロゴスは。これははじめに神のところにあった。万物がそれによって生じた。そしてそれなしには何一つ生じなかった。それにおいて生じたものは、生命であった。そして生命は人間たちの光であった。そして光は闇の中に現れる。そして闇はそれをとらえなかった。

ヨハネ註 1章1 1【ロゴス】

P. 080 さんざん迷った末に、訳さず片仮名で書くくらいなら、翻訳としてはやってはいけない手抜きの禁じ手であるので (原語の単語をそのまま片仮名で書くくらいなら、翻訳なんぞやらない方がいい) 、どうも申し訳ありません。ご存じ logos  という語だが、周知のようにこの語は「言葉」という意味と「理性」という意味がある。語源的にはいろいろあるが、感覚としては、この語にこの両方の意味が同時に含まれるということは、十分に理解がつく。

(田川建三 訳著『新約聖書 訳と註 5 ヨハネ福音書 より)

そういえば、作品に使われている素材について触れていなかったが、《小さな脳の家 (グリム兄弟) 》という作品は、煉瓦作りの小さな家の中にレジン (樹脂) などで作られた脳が入っている。

キーファーの作品には煉瓦や藁 (わら) が度々使われているようだ。所謂旧約聖書で最初に「煉瓦」が出てくるのはバベルの塔の物語かしら?

創世記 11. 1- 9 バベルの塔

世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。東の方から移動してきた人々は、シンアルの地に平野を見つけ、そこに住み着いた。

彼らは、「れんがを作り、それを焼こう」と話し合った。石の代わりにれんがを、しっくいの代わりにアスファルトを用いた。彼らは、「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」と言った。

主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、言われた。

「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。」

主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの町の建設をやめた。こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を混乱 (バラル) させ、また、主がそこから彼らを全地に散らされたからである。

(日本聖書協会 訳『旧約聖書』より)

バベルの塔の物語から、出エジプト記に繋がり、その前後、聖書全体を読まなければならないが、先ずは、藁についての記述がある「出エジプト記 5. 10- 19 ファラオとの交渉」の物語に注目する。

また、図書館で予約した『アドルノ/ツェラン往復書簡 1960- 1968 』を待ちながら、一旦筆を置く。

斉藤有吾


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