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晩年に煩わされたくない_240103_#179

昨年末のメルマガで気になっていたこと。

▼F さんの年間セミナーを受講していて、毎日休むことなく発行されているメルマガ も読ませていただいているのですが、先日気になった内容がありました。

Fさん曰く面倒くさがりやなので、それをやらずに済む方法を考えられ、根治対応を続けられた結果、今の分どころか未来の分まで取り組まれている。

そして死にゆくときに生じるかもしれない面倒くささまで、前倒しでほぼ終わられたとのことでした。

以下はメルマガ本文の一部なのですが、

▪️具体的には、死ぬ時には、限りなく身軽に、シンプルに、後顧に憂いを残さぬ形で、死んでいきたいものだと考え、その状態作りに力を注いだのです。

▪️もし不治の病に冒され、余命宣告を受けることがあっても、残していく人間関係、仕事、役割、お金について、可能な限り「めんどくせーこと」「心を煩わされること」が起こらぬシステムづくりをということ。

【令和5年12月24日 平成進化論7421号】

▼そして、わかりやすく実例として、豊臣秀吉の晩年を紹介されていました。

私も歴史好きなので読んでいたのですが、
秀吉はご存知のように、

武士でもない身分から、知恵を使い、人の心を奪い、時には胆力で圧倒し、戦国の時代に天下を丸めて一つにしたほどの大人物なのに。。。

晩年は、子のことやのちの政権のことで、家康に頭をさげ、泣きながら周囲に頼まざるを得ない状況に。

とても悲しく、寂しいシーンしかイメージできない。

『何でそうなってしまったんだろう。成り上がりなので家康と違い、遠い昔から続く家来とのつながりを持っていなかったのからか?単なる運命なのか、悲惨だなぁ。』
などと云う、安易な考えしか持っていませんでした。


秀吉の姿から、そうならないように事前に、『死にゆくときに生じるであろう面倒くささを取り除く発想』に行ってなかったんですよね。。。

でも、このメルマガを読んで、

『これは、絶対に嫌だ。
 死ぬ時まで気がかりな案件を抱えたまんまで
 煩わせられるのは、死んでも嫌だ。』

と思いました。


▼最近の行動について見返してみると、私自身も
将来生じるであろう煩わしさ対策として、取り組んでいるものがありました。

ただ、根治療法とは云えそうもないため、まだまだアスキングが必要です。
(煩わしさは残っています)


また、既に顕在化している前記とは別の『煩わしさ』については、
取り込んでしまい手を加えることにより、手中の鳥にできないかとも考えております。

もしこれが実現できた時、きっと私のイライラは無くなり、未来への安心感が手に入れられるのではと思います。

なので、覚めぬうちにさっさと手をつけたいと思います。

〈今日の気づき〉
・秀吉の晩年を哀れだと考えていたが、
 それにより自分の煩わしさ対策を進め、
 面倒くささを元気なうちに取り除くことの
 大切さ に気づいた。

 たくさん面倒くささはあるが、近くのものを
 手中の鳥に変えれないか、進めてみる。

 
最後までお読みいただき、
ありがとうございます。

明日もみなさんにとって
大切な1日となりますように!!


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