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〔150〕ペテロダラーは覇権通貨、金が國體通貨(続き)

〔150〕ペトロダラーは覇権通貨、金が國體通貨(続き)
 前項〔149〕では、1947年にサウジアラビア国王とアメリカ国務長官キッシンジャーが結んだ密約により「ペトロダラー」という覇権通貨が誕生したことを述べましたが、ここではその続きを述べます。
 WWⅡ以前にはアメリカの金準備は三万トンもありましたが、欧州復興のための「マーシャルプラン」や、ソ連を相手とした軍拡競争や「朝鮮戦争」支援のためにバラまいた米ドルの兌換に応じたために大量の金地金が流出し、8千トンにまで減少しました。
 昭和四十六(1971)年8月15日に米ドルの金兌換を停止したニクソン大統領は同年12月のスミソニアン協定で1オンス35ドルの平価を38ドルに切り下げ、翌年に1オンス42・22セントと再起利下げしますが、こんなことでは金本位制の継続は無理で、昭和五十一(1976)年1月のIMF委員会で変動相場制への移行が確認され、昭和五十三(1978)年4月の協定発効に伴って先進国通貨の金本位制は完全に終焉します。
 そもそもブレトンウッズ体制は、固定相場制のため各国の生産性上昇に差が出てくると揺らぎだす宿命にあったのです。また基軸通貨制のため、基軸通貨国アメリカは、国際流動性を供給する立場として国際収支が赤字でなければ勤まらず、赤字が続けば米ドルの信認は次第に失墜します。
 基軸通貨国が国際的な競争力が高いときは貿易黒字が発生して流動性を縮小させますから、国際流動性の供給を基軸通貨国の国際収支赤字で賄わざるを得ないのですが、赤字が続くと基軸通貨の信任が低下し、その結果として国際流動性が縮小するのが、「流動性のジレンマ」なのです。
 それも貿易収支が黒字のうちはまだよいのですが、競争力が落ちて貿易収支が赤字になれば信認の低下に拍車がかかります。
 1960年代の半ばに入ったアメリカはまさにその状態に陥り、フランスやイギリスから金兌換の要求を受けたのでニクソン大統領は米ドルの対金切り下げの肚を決めたのです。

 この決意には、ワンワールド國體から派遣されたキッシンジャーが大きく関わっていると落合は考えます。
 アメリカの国際収支の赤字の進行につれて準備金が流出するのは自然現象ですが、基軸通貨としてのドルの信認は揺らぎます。
 それでもアメリカが覇権国家であるために、基軸通貨国であり続ける必要があ、との考えから、米ドルの裏付けとなる物資を探求したところ、原油が浮かんだのです。


 

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