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さびれた場所

私の家の近くにはさびれた小さな港町がある。いや、あった。

すぐそばというわけではないけど、車で10分ほどで、漁港と小さな海岸、防波堤沿いを海を見ながら歩くことができるので気分転換には最適だ。

これといったものはないけど、悲しい時、心がいっぱいいっぱいになった時、暇な時、海が見たい時、日焼けしたい時、ぼーっとしたい時・・・私は人がいないさびれた海に行き、思いのたけを吐き出しだり癒されたりするのが大好きだった。

ここ数年の古民家ブームに便乗し、そのエリアで空き家となった家を買い取りおしゃれにリフォームをして民泊を提供する不動産会社が力を入れ始めた。
海沿いにはカフェ、洋菓子屋、コーヒー、ギャラリー、アイス等「こじゃれた」店が入った商用ビルが建ち、辺り一帯に今時のお店が広がっていった。

それまでは人通りが少なくたまにいるのは近所の方が顔に新聞紙を載せて防波堤に寝ていたり、お年寄りが海を見ながらゆーっくり散歩していたりする場所だった。
それが一気におしゃれエリアに変貌し、
まるで原宿のように(その表現が古い)若者や家族連れ、カップルが、メイクばっちりのよそ行きの服でスマホを片手に道を闊歩する場所になったのだ。

近くにこんなおしゃれなエリアがあるぞ、という喜びもありながら、
もう変な恰好ではいけない場所になってしまったことに戸惑うのは私だけでないかもしれない。(ちなみに変な恰好とは、ノーメイク眉毛無し、色の配色も、丈も、素材も考慮することなくたまたま手にしたものを何も考えずに着ただけの服装を言う)

さびれた場所だからこそ癒された、飾らない場所だからこそ心に響いた。
地元民しかいないから安心できた。今はそんなさびれた感が懐かしくも感じる。

もし今またあの場所が再びさびれたエリアになってしまったらそれもまた残念な気持ちになるのかな。それともほっとするのかな。

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