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失敗した経験を書くのってはずかしい…

今日noteに何を書こうか迷っていて、とりあえずお遊び感覚でやっているタロットカードに聞いてみることにしたのね。

引いたカードを見てわたしはこう読んだ。


「失敗談を書く」

もちろんこれはわたしのインスピレーションというか、勝手な感覚からの解釈なのだが、失敗した経験ってたくさんありすぎて何を書いてよいやらと考えていたら。

あった。しかも最近のできごと。


以前、こんな記事を書いたことがあって。

結論からいってしまうと、二社とも縁がつながらなかったのだ。そう、書類選考でまたまた落ちた。


で、このことを失敗談として書くのか?と思ったとき、胸がざわざわしたわけだ。結果なんて書かなくても、このことに触れる記事がアップされてないとなればおのずと「落ちたんだ」ということが、いわずもがなである。

それをあえて書くのか?と思うと、
「はずかしい」が出てきた。

だって、タイトルに、「渾身のラブレター」とまで書いているんだよ?そこまでハートを込めて書いたラブレターを送ったのに、振られたなんてはずかしいじゃんって。


強がりをいうわけじゃないけれど、一社目で落ちたときほどぜんぜん落ち込まなかった。なんなら「さ、つぎつぎ」ってね。

一社目のときは、「わたしには価値がない」とか「わたしは必要とされない人間」なんてものすごく落ち込んだけれど、そもそもなぜ一社目から受かるかもなんて根拠のない自信があったのか、逆になぞ。


恋愛でたとえると、好きな男の子ときっと両想いかもしれないという期待があって告白したのに、振られたみたいな。

「え~~~っ、あなた、わたしのこと好きだったんじゃないの!?」みたいな。笑


でも、二社目三社目になってくると、わたしには自分の気持ちを伝える自由があって、受け取った相手も、わたしの気持ちを受け入れるか受け入れないか選択する自由があるって思ったからそこまで落ち込まずにすんだのかもしれない。


なんかいいたいことが行方不明になってる気がするが、ようするに、振られたことを書くのってはずかしいなって。


ただね、もう一社応募してた会社があって、そこは一次審査は受かって二次審査にすすんでいるところである。


それに「経験はお金よりも財産」って書いたばかりだしね。これもわたしの財産になっていると思おう。


生活がかかっているのだから、いちいち落ち込んでいられないし、とっとと稼がねばならないのだよ。笑


いい会社とご縁がつながりますように。という願いも込めて、はずかしながら失敗談として書いてみた。きっと、そこから改善すべき点も見つかるのだと思う。




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