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自分を知る手段が『書く』ということ

100日連続投稿を達成してから、次はどうしようか考えて決めたことがある。


「とりあえず、いったん投稿を休んでみよう」


ということ。習慣化してきたことをやめて、どんな感情や思考がわくのか?知りたいと思ったのである。


これが100日連続投稿したときの記事。


しばらくは書かないぞ!と思ってはいたものの、翌日、気づけば書いていて投稿していた。


だって、書きたかったんだもん。である。書きたいことがあるのに書かないなんて気持ち悪い。


さらに翌日。読んでいた本にあまりにもココロ動かされ、この感情のまま書きたい!と思い結局書いていた。


そのまた翌日にはなぜか自分にあらがうように、つぶやいていたのだ。


それほど『書く』ということが習慣になり、休むことに抵抗が起きるようになっていたのである。


なぜ抵抗しているのか自分に問いかけた。


「ここまで約200日だよ?一度目は一回だけ投稿し忘れて、それが悔しくてリベンジしたんだよ?それなのにいまさら書くのを休むなんて、なんてもったいない!!」


その悔しさをバネに、リベンジで成功したのは大きい。書きたいという純粋な気持ちより、今度こそ後悔しないようにと自分との約束を守るんだという気持ちのほうが大きかったのだ。


それはそれでわたしにとって、とても貴重な体験と感情だった。


そっか〜。約束をなんとしても守りたかったんだね。


自分との約束を守ったことで、自分への信頼度が高くなったのはいうまでもないだろう。


だからこそ、ここらでちょいと休んでみないか?という提案ができた。


「せっかく」とか「もったいない」が出てきたが、とにかく休んでみようと。


休むと決めたが、「あ〜書きたい。書きたくてウズウズする」とも思ったし、「義務のように書かなくていいのもラクだな〜」とも思った。


ただ休んでるあいだも頭の中ではつねに、ネタ探しをしていることに気づいた。


やっぱり書きたいんだと。純粋に書くのが好きで楽しいのだと、休んでる五日間でわかったのだ。


もう少し休んで、今後どういうふうに書いていくか考えるつもりでいたのだが、ダメだ。もうがまんならねー!


どういうふうにして行きたいかなんて、書かないとわからないよ!!と、書かせない自分に怒りがわいてきたほどだ。


書きたいんだ!書くのが好きなんだよ!書かせてくれよ!


もうここまで書きたい欲求がたまっているなら、よし、ゴーだ!書け!


なんてどっかの古い青春白書みたいなやり取りのあと、昨日、六日ぶりとなる記事を書いた。しかもこれは前にちょっとチャレンジしてみようと思っていたことを実践して。


長かった夏休みも終わり、子どもたちは元気に学校へ登校している。


早起きなんてしなくていつも通りの時間に起きても、仕事の休みの日は、送り出してあとの午前中でもたっぷり時間がある。


なんてステキなんだ!


なんのストレス(スマホでnoteを書いてる途中で、子どもたちがしょっちゅう話しかけてくるのでそのたびに手を止めるのがストレスだった)もなく、パソコンを堂々と開き、誰にも邪魔されることなく書きつづけられる環境。


ちっぽけかもしれないが、ほんとに気持ちよく集中して記事を書けたのだ。


気持ちよかった……。なんともいいようがない気持ちよさが、わたしのココロに広がっていった。


ほぼ書き終えたところで小学校の授業参観や買い物、家事があったので、記事を手直ししたりサムネを設定したり投稿するという作業は夜になったのだが、朝は朝でいいなと思ったのである。


記事のストックも考えたしいくつかストックしてあるが、わたしの場合ストック記事を使おうにも、そのときの気分とマッチしていなければ投稿に使いたくないと思ってしまう、わがまま気質。


それが厄介というのは自分でもよくわかっているから、本当にめんどくさいヤツとボヤいてしまう。


休んでみてわかったのは、ストック記事はわたしには無意味ということ、その日の感情に任せるように書くか書かないか決める、書くとすれば内容もそのときの気分で直感のままのほうがいいってこと。


相変わらず誰かの役に立つ記事は書けないだろう。それでもわたしは自分の気持ちのまま、書いていきたいと思っている。


自分を知る手段のひとつとして。

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