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レッツタコスパーティー!

 「タコスパーティー来る?」


 僕が働いているバイト先でお世話になった(もうバイトはやめてしまった)主婦の女性から、家でタコスパーティーをやるから来て欲しいと、ホームパーティーへのお誘いを受けた。なんとその主婦が、タコスを手作りで振る舞ってくれるらしい。僕は誘いに、1も2もなく飛びついた。

 「タダ飯食えるぜ!!」
と思ったからだ。下品な理由だがそう思ってしまったのだから仕方ない。もちろん
「楽しそうだから」
など、それ以外の理由もある。でもそれ以上に、無料の誘惑に取り憑かれていた。パーティー当日は、
「無料♩無料♩無料♩無料♩」
と口ずさみながら、主婦の自宅に歩いて向かった。
 ケチな男が、街を闊歩していた。

 平日の昼間。3階建ての主婦の自宅に到着。お邪魔します。2階のリビングに案内された。凄く綺麗でお洒落な雰囲気。センスが剥き出し。そもそも2階がリビング、生活の拠点になっている時点でセンスを感じていたが、内装や雑貨、アンティ―クを見て、
「なんかもうモデルハウスみたいだな」
と感嘆した。でも、モデルハウス特有の生活感の無さはゼロ。生活感や人の温もりはあるが、綺麗で、住みよい家だった。もはや自分の家より居心地が良かった。素晴らしすぎて、トイレに置いてあったハンドソープを盗もうかとすら考えた。やめたけど。
 あとで聞いたが主婦の自宅には断熱材があって、夏は涼しく冬は暖かいらしい。僕の住むアパートと真逆。僕のアパートは、熱しやすく冷めやすい。
 恋人にするには最悪の物件だ。

 自宅に着いてからしばらく、一緒にパーティーに参加していたバイト先の人達と喋っていると、主婦がトルティーヤを焼き上げてくれた。生地のふわりとした香りが鼻腔を抜ける。食べる前から美味かった。
 ちなみに僕の本名、下の名前は「としや」なのだが、小学生の頃に僕を「トルティーヤ」というあだ名で呼んでくる、アホ代表みたいな親友がひとりいたことを匂いで思い出した。ちなみにその親友は「スパイダンス」という、スパイとは一切関係ない踊りをするという奇行をよくやっていた。また、「ミュ!」と言いながら、他人の二の腕を手でつつくという技も持っていた。あと、小学校の卒業アルバムに載っていたほぼ全ての写真、その親友は変顔をしていた。そいつにも食べさせてやりたい。


 トルティーヤが焼き上がると、ひき肉、レタス、トマト、アボカド、チーズ、タバスコ、色とりどりの具材達が机に並べられた。さながらバイキング。僕はトルティーヤの上に具材を乗せていった。ライドオントルティーヤ。主婦に
「ひき肉たくさんあるから、たくさん乗せていいよ」
と言われたので、てんこもりにした。そして、包んで、食べた。

 やっぱり美味かった。
 ひき肉のジューシー、レタスのシャキシャキ、トマトの酸味、アボカドのどろり、チーズのとろり、タバスコのサッとくるスパイシー。トルティーヤに包まれた具材達が口内調理され、全てが渾然一体となって僕の舌を刺激してきた。
「うめ、うめえええええやあああああ!」
と思った。美味すぎたので、その美味しさを主婦に言葉で伝えたいと思った。でも、美味しさをベラベラ口にすると、かえってわざとらしくなり、
「美味しくないのかな?」
と逆に主婦に疑われるかもしれない。そう考えた僕はあえて、
「うまっ」
とだけつぶやいて食べ進めた。変に食レポするよりも、黙って美味そうに食べる方が信用に値する。それを僕は『孤独のグルメ』から学んでいる。


 食べ進めていくと周りの人に
「タコスはね、タコスじゃなくて首を横に傾けて食べるんだよ」
と正式な食べ方を教えてもらった。
「教えられたことは1度素直に実践する。1口目は塩でと言われたら、本当は醤油でいきたくても我慢して塩を振る。オイラはそういう男だ!」
そう思い、やってみた。首を傾け、タコスを地面と平行にし、口に運んだ。

 「味変わんねえな」
と思った。あと
「普通に食い辛いな」
と思った。あと
「首傾けると『PERFECT HUMAN』みたいだな」
と思った(『PERFECT HUMAN』の首をかしげるポーズ、興味ある方は調べてほしい)。
そこまでして正しい食べ方をしたくないので、僕は元の食べ方に戻した。
 ちなみに、タコスの具材をてんこもりにしたのだけれど、途中から具材がトルティーヤからポロポロこぼれるのでうんざりした。てんこもりを勧めた主婦を呪った。
 具材をこぼす人間は『PERFECT HUMAN』になれない。

 その後、
タコスを何個も食べ、
主婦の作ったサラダも食べ(これまた絶品!)、
明太とろろご飯(僕しか食べていなかったけど)も食べ、
他の人が持ってきたお菓子(僕は何も持って行ってない)も食べ、
大満腹で動けなくなった僕は、偉そうにソファに腰掛けて満足気な表情を浮かべていた。
 他人の家で、くつろぎきっていた。

 すると自宅に、主婦の娘さん(長女)が帰ってきた。中3で、来年から高校生らしい。学校帰りの長女がリビングに来た。
「こんにちは」
と挨拶されたので、偉そうにソファに腰掛けていた僕も背筋をピシッと正し
「お邪魔してます」
と丁寧に挨拶した。そして帰ってきた長女に、
「うざがられるかな?」
と思いながらも話が聞きたかったので、
「勉強大変でしょ?」
「部活はやってるの?」
「好きなことなに?」
など、いくつか質問を投げてみた。


 すると長女は、中高一貫のいわゆる進学校に通っていて、部活もやっていて、読書やミュージカルが好きだと、気さくに教えてくれた。多分、まじめで素敵な子なんだろうなと直感した。あと読書は僕も好きなので、親近感が湧いて嬉しかった。

 でも長女は、進学校というコミュニティの中では、別に勉強が出来る訳では無いと言う。どうやら、賢いは賢いらしいのだが、選りすぐりのコミュニティ内で、選りすぐりになるのは難しいらしい。というか本人が言うには、全然駄目らしい。大学にもそんなに行きたくないらしい。
それを聞いて僕は痛切に
「分かるなあ」
と感じた。


 集団内で勉強という物差しで出来不出来を図られる息苦しさ。
 それでも頑張らないといけないという焦燥感。
 勉強してなさそうな奴が軽々と高得点を取った時の納得のいかなさ。
 賢い友達に覚える劣等感。
 でも仲は良いし本気で嫉妬してる素振りは見せられないあの感じ。


「分かるなあ」
という気持ちを引き金に、僕は自分の中学時代のことを思い出してしまった。

 中学の頃、塾に通っていた。その塾には小学校からの友人がいた。中3の夏、僕と友人は同じくらいの学力だった。そこから2人は高校受験に向けて勉強した。同じ塾で授業を受けた。同じ自習室で勉強した。塾の先生に言われたやり方で、同じように勉強した。どうやら学習時間も同じくらい。いやなんなら僕の方が努力していた気がする。友人とはずっと仲が良かった。結果友人は、自分よりワンランク上の高校に受かった。僕はワンランク下だった。
 そしてその友人は、僕をトルティーヤと呼ぶ、小学校からの親友だった。


 なぜ、勉強ができないのだろう?
 なぜ、要領が悪いのだろう?
 なぜ、記憶力が無いのだろう?
 なぜ、集中力が続かないのだろう?
 なぜ、机の上で別のことばかり考えてしまうのだろう?
 なぜ、学力という物差しで測られることにこんなにうんざりしているのだろう?
 なぜ、アホ代表みたいな親友より自分のほうがアホなのだろう?

 考えても、考えても、理由はさっぱり分からなかった。僕がアホだからだろうか? 


 でも今なら分かる。そもそも賢い奴ってのは、余計なことを考えないもんなんだ。目的地まで最速、まっすぐシンプルに辿り着く。一方アホは、鈍行列車に乗りながら、蛇行しないと目的地に辿り着かない。意外とアホの方が複雑に頭を使っていたりする。そう考えるとアホはつくづく報われない。もちろん、本当になにも考えてないタイプのアホも存在する。でも少なくとも自分は、グルグル回り道をしてしまうタイプのアホだったのだろう。だから勉強があんまり上手く出来なかったのではないかと推察する。ただ、自己肯定するわけではないが、そうやって回り道をしてしまうところに、アホの逞しさとキュートさが凝縮していると、僕は強く信じている。いや、強く信じたい―

 中学の頃から芽生え出した勉強へのコンプレックスが未だに残っている。
 大学受験を終え、数年が経った今でも、黒い感覚が希釈されずに残っている。

 だから長女が、勉強が出来ないと漏らした時に激しく共感してしまった。
 なんとなく長女には、早く大人になって欲しいと感じた。


 でもそんなことがどうでも良くなるくらい、タコスでお腹が一杯だった。



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