文章を書きたい理由
天です。
note初投稿です。よろしくお願いします。
改善点あれば教えてください。
以下 本文です。
小学4年生の頃、「物語を作ろう」という国語の授業があった。教科書のとあるページに載っている熟語を全て使って、オリジナルのお話を作る授業だった。多くの生徒が
「テキトーに済ましちゃえ!」
と、短めの物語を書き上げる中、
僕はその授業がなぜか楽しくてしょうがなく、
「面白い物語書くぞおおおお!」
と躍起になっていた。たしかわざわざ、課題を家に持ち帰って、他の生徒の3~4倍の文章量をノートに書いた記憶がある。家の近くで石油を掘り上げる男の話、『ジェイソン』という物語を書いた。13日の金曜に暴れ回る男とは、なんの関係もない物語。名前が同じなだけ。
その翌日の授業で今度は、書いた物語をみんなで回し読みすることになった。僕は恥ずかしくてたまらなかった。周りより長めに書いていたので、
「コイツ、めっちゃやる気になってんじゃん」
と思われるのが嫌だった。また、自分と担任の先生(坂田先生)しか読まないと考えていたため、明らかに狙いにいったことがバレバレのユーモアが、文章の中に大量にあり、それを読まれるのも嫌だった。
「コイツの文章、ユーモアだらけや!ユーモアが散見される!ユーモア散見小学生や!」
とクラスのお調子者が叫びだし、僕のノートを教室の天井にかかげ、晒し首のようにされるのではと慄いた。そしてなにより恐ろしかったのは、そのユーモア自体がずれていて、お笑い的に言えば、スベる、ということだった。スベることに戦慄する。その感覚は今の今まで、強く自分の中にある。とはいえ、しょっちゅうスベっているのだけれど。
しかしその日、僕の書いた文章はウケにウケてしまった!ほんとに!
クラスのお調子者は、
「コイツのめっちゃおもしれえ!」
と叫び、僕のノートを良い意味で晒し首にしてくれた。(良い意味で晒し首?)
そのお調子者の一声で、僕に集まる注目。好奇の視線。紅潮する僕の頬。教室に響く笑い声。結果、全然仲良くない生徒まで僕の物語を読んでくれた。授業の終わりに坂田先生が、誰の物語が面白かったかアンケートを取った。僕はあろうことか、そのアンケートで1位になってしまった。正確に言えば、『ジェイソン』が1位になってしまった。学校で1位になるなんて初めてだった。しかも『ジェイソン』を後日、坂田先生がワープロでまとめて冊子みたいにして、学級文庫の棚に置いてくれた。ありがとう坂田先生!それ以降、その冊子をクラスの生徒が、読書の時間とかに読んでくれた。僕はそれが嬉しくてしょうがなかった。感激だった。
今でも母親がよく言う言葉がある。
「1位は注目されるから危ない。嫉妬を受ける。だから2位が1番良い。なんでも2位を目指せ」
その日、母の言いつけを破った。
それから10年以上経って、僕は芸人を志すようになった。小学4年生の頃に味わった、面白いと言われる感激が忘れられないまま、ズルズルと来てしまった。染めてはいけない薬物に手を出した感じだ。ちなみに、薬物に手を出したことはまだ無い。
僕は芸人になると決めた時から
「絶対文章は書きたい!」
と考えていた。正直、ネタをやるのと同じくらい、文章を書きたかった。それはやはり、人に笑ってもらう原体験を、文章を書くという行為の中で味わったからだ。しかし同時に、自分の文章を読まれることが恥ずかしく、苦手で、1番やりたくない。(どっちだよ)。書くのが好きだが、楽しく読んでいただけるような文章を作る自信が無い。それに、文章をきっかけにお笑いを志したと書いたが、自分でハードルを高く設定してしまったのではないか?と後悔すらしている。
「は?最初に幼少のエピソードから入って、その後文章を書きたい理由を述べて、最後に自信ないアピールってなんじゃこいつ。情けねえ。堂々としとけ」
そう思われるのが恐い。出来たら思わないで欲しい。
でも、書いたものを読んでくれるなら、もはやどう思われてもいいか。どうあれ読んでいただけで感謝だし。これを書いている今も、高揚感で胸がワクワクしているし。
これからは、週に1度、文章を書いていけたら良いなと考えています。そちらもお時間のある際に、片手間程度に読んでいただけたら嬉しいです。文章を書きたい理由は、小学生の頃の原体験以外にもたくさんあるのですが、それはまたいつかの機会に書けたらです。
これからよろしくお願いします。
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