電気羊

のんびり映画、読書、たまに美術館。 しばらく放置していたブログ『そこに魂はあるのか?』…

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のんびり映画、読書、たまに美術館。 しばらく放置していたブログ『そこに魂はあるのか?』の続きです

最近の記事

デューン 砂の惑星 PART2

ドゥニ・ヴィルヌーヴ、好きです。 テッド・チャンの短編小説「あなたの人生の物語」をベースにした『メッセージ』で衝撃を受けて以来のファンです。 何がいいかというと 「見たこともない世界を体感する!!」 というような客観的な感想とか評価とかの余地もなく、身も心も映像の中に引き込まれてどっぷり浸かる、という感覚が素晴らしい。 モノトーンに近い抑えた景色と強い色彩の対比とか そういう映像の美しさに引き込まれるのはもちろんだけど、今回の『デューン パート2』は前作にも増して内臓を

    • ファイアパンチ 藤本タツキ 

      生きて  予想する流れをことごとく重量級の斧でぶった切り続ける展開の連続が読むもの立っている場所を揺るがし続け、麻薬のように酔わせる反面、ともすると重く重なっていくテーマはそれぞれに焦点をあてて解釈を試みようとするほどに中心が捉えにくくなっていく。 だから、映画を楽しむように流れに身を任せ、映像体験として味わうのが吉だ。 そうするとおのずと、 ルナが、トガタが、ユダが、去り行く間際にアグニに発した 「生きて」 という言葉が浮かび上がってくる。 この言葉がファイアパンチ

      • ノスタルジア 4K修復版

        ■言葉というものを離れたときに、伝わるものがある。 ストーリーを追おうとすれば離れていき、 映像に身を沈めれば、心がそこに広がっていく。 これは、そういう映画だ。 遠ざかれば遠ざかるほど強くなっていく故郷や家族への想いと どうにもならない現在と それでもなお、そこに希望を生もうとする私 色彩と画面構成が、 それを区分しながら同時に溶け合っていく ■アンドレイ・タルコフスキーに出会ったのは シネヴィヴァン六本木だったろうか いや、たぶん文芸坐あたりだったような気もする 『

        • ゴッホ・アライブ 東京展@寺田倉庫

          全身、ゴッホに包まれる感覚。 深淵をのぞかせるような青と力強い生命を感じさせる黄色。 1888年から89年にかけて希望から絶望の奈落に落ちていくなかでゴッホが絞り出そうとしたもの、そのものが満ちてくる。 ゴッホアライブの映像と音響で包むという手法が、有無を言わせぬ力をもって、この3作の色彩をこの身に染み込ませる。 自ら命を絶つ直前に描かれたこの作品も青と黄色。不穏なカラスの群れに覆われていたとしても、ゴッホの生命は生きたがっていたんだと僕は思いたい。

        デューン 砂の惑星 PART2

          舟を編む

          NHK BSで始まった舟を編むの第1話を録画でみた 主人公の編集者、岸辺みどり(池田エライザ)が突然、辞書編集部に異動させられて…、というお話。 主人公は異動のとまどいのなか、思ってもいないのに相手を傷つけてしまうことが続くのだけれど、辞書を開くことで「朝日の写真なんて…」とか、「辞書なんて…」とか、意識することなく使っていた「なんて…」という自分のことばの「クセ」が相手が大切にしているものを貶め、傷つけていたことに気づき、取返しのつかない自分の不用意さに慟哭する。 な

          ルックバック

          映画にしろ、本にしろ、マンガにしろ、 見終えてたあとに、文字通り口がきけなくなるときがあって 感想とか評価とかそういうものからまったく違った、 体の感覚ごと、ぐーっと持っていかれる感じ そういう出会いがたまにあるからやめられない 藤本タツキといえばチェンソーマンで、欠かさず連載も読んでいて、映画を浴びるほどみて研究してるんだろうなあ、という匂いが、深みとか厚みにつながっている感じがして大好きだ で、その藤本タツキのルックバックが映画になるというので ミーハー気分でさっ

          ルックバック

          村居正之の世界@郷さくら美術館

          会期終了間際の村居正之展に行ってきた 村居正之さんの絵は見たことがなかったのだけれど、その群青色が気になって、気になって、やっと自分の目で味わうことができました。 いっやああああ、こんな青ってあるんだなあ。 諦めずに行って正解でした。大満足です。 写真撮影OKだったので、しっかり収めてまいりました。 目玉の《月照》も、すーっと吸い込まれるのだけれど 《遥か》と《昼下り》の2作品 とっても好きです。 ずーっと、絵の前で眺めていたいやつです。 こういう迫力がある作品が好

          村居正之の世界@郷さくら美術館