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エッセイ[自転車事故の被害]

此の話は、自転車事故に遭い前日までの平穏だった生活から一変、
痛みと痺れの為に思うような生活が出来なくなった女性の話です。

手軽な自転車も、時に寄っては走る凶器と成りうるノンフィクションです。
彼女にとっては思い出したくない事実の話で
思い出すと身体が震えると申します。


衝突事故

今から6年余り前、東京の中心地に近い地域に住む彼女は、幸せに恵まれた普通の専業主婦で余暇を利用してエアロビクスやヨガ、アレンジフラワーの教室に通っていた。学生時代は剣道部に籍を置き活発に活動していた体育系女子だった。

その彼女が、人生半ばを過ぎた或る日、買い物帰りに自転車で信号待ちをしていた所へ後ろから走って来た自転車に追突され強い衝撃を受け倒れた。

加害者は信号が変わった途端に前を確かめもせず発進したのか、被害者に気付かなかったのか❓彼女には意識が薄れる中、赤いセーターかジャケットの女が猛スピードの自転車で横断歩道を走り去るのが見えた。

救急搬送〜緊急手術

気が付けば、、、、病院のベッド。「気が付いた」と言う声が聞こえた。
彼女は「私の足は❓」と手を伸ばし確かめ「大丈夫だ」とホッとした。

そして思い出した、信号待ちで自転車を降りて待っていた信号機が青に変わる前に自転車に乗りかけた時に彼女は後ろから衝撃を受けたのだった。
加害者の自転車が、彼女の自転車の後籠に当たり其の衝撃は、彼女の腰椎に損傷を与える事になった。

事は思いの外重大で、破損している椎間板を集めて椎骨の間に詰め込み、 彼女の腰椎は4本の『チタン・ボルト』が、衝撃でずれた椎骨を元に戻す医療器具として、ずれていない骨にドリルで穴を開け固定する手術が施されたのだった。

L4とL5を繋ぐボルト

その時の彼女は意識が無く選択の余地などなく又、急を要するものでした。脊髄、脊椎に特化した都心部の○○○病院に救急搬送されて検査が行われ緊急手術となった訳だ。
 
HCUの病室から出て一般病棟に移り主治医からパソコンで脊椎の術後状態の説明を受けた時に拡大画像を見せられた彼女はショックで気が遠くなった。
 
彼女には意識もなく手術方法の選択など出来ない状態、母親と夫の了解の下に成された手術だった。

主治医からは「奇跡的に車椅子にはならないで済みます、リハビリ頑張りましょう」  と言われ、治るものと思っていたにも関わらず痛みに堪え、杖を手放せない6年余りの生活を送ろうとは予想外の出来事となった。

退院とリハビリ

彼女の頭からは見せられた画像が離れる事はなく悔しくて堪らなかった。
1分でも2分でも時がずれ、あの場所から数歩離れて居るだけで事故に遭わなかったのだ。

もっと大変な手術をされ彼女とは比べ物にならぬ程の思いで懸命に生きている人もいる事は解っているつもりで居たが。此の事故以降、愛用の自転車に乗る事は禁止。又、医師からは徒歩の買い物でも「2㎏以上の荷物は持つな」と言われた。
趣味のヨガやエアロビクスにも行けない、園芸も無理と彼女の思いは混沌としていた。

彼女が元気だった頃に作った寄せ植え

3ヶ月程の入院とリハビリも終えて自宅に帰り一人リビングの椅子に座っていた時、絶望感に囚われた彼女は手首に刃物を当ててしまった。
然し、思い留まり傷口をタオルで押えて近所の病院に駆け込み手当てを受けた。

術後、特別仕様でオーダーした胸から腰までを覆う重いコルセットを退院後から6ヶ月は寝る時以外は装着してくださいと言われ、其れも辛かった。

杖を付いてのリハビリ歩行訓練中に、杖を付いている事に舌打ちをしながら「邪魔だ」と言わんばかりに追い抜いて行く心無い人の行為に傷付いたり、
友人からの「もう一年にもなるのに未だ治らないの?」のと問い掛けに心が折れそうになったりの日々。

外出も儘ならず椅子に腰掛けると座骨の痛みに限られた時間しか座って居られない毎日。毎日の食事時も立ったまま済ませて居たと言う。

退院後の経過、痛みに苦しむ日々

術後の痛み、脊髄の神経に僅かな損傷を受けているのか、5年余りの月日を過ごしても痛みは無くなるどころか軽減もしない。

主治医に相談するも答えは何時も同じ
「時間は、掛かりますからねぇ。痛みは人其々ですからねぇ」
痛みで歩く事も難しい彼女に「兎に角、歩いてください」
「痛みで歩けません」と訴えても「歩いて下さい」の一点張りだった。

その間、余りの痛さに居住地から離れた関西のクリニックで保険の効かない高額なカテーテル手術を受け、リハビリ合宿にも参加して「少なくとも半年で痛みが無くなるでしょう」と言われたにも関わらず1年経っても痛みは酷くなる一方。2年後に再手術をした物の成果は上がらず、乗用車一台分の高額手術費用は無駄になってしまった。

2度目のカテーテル手術から更に2年経ち、事故の手術から丸6年、彼女は身体の痛みに堪えながら主治医の診察日に御主人に付き添われて診察を受け酷い痛みが続いている事を訴えて漸く他院に紹介状を書いて貰う事になった。

花好きな彼女の為に御主人が植えられたペチュニア

漠然とした主治医の態度

話しは彼女が事故に遭い救急搬送された時に戻るが、東京の都心にある[脊椎・脊髄疾患に特化した]病院での特化した手術の執刀はベテラン医師の指示の下、経験数の少ない若手医師に任されて施されたようだった。
 
入院中の彼女の状態を毎日、診察に来た医師は主治医でなく執刀した若手医師であった。
 
彼女が退院間近に、その若手医師の言った言葉が今でも心に引っ掛かっている「僕がしっかりドリルで締めておいたから大丈夫ですよ!
傍に居た看護師が、眉をひそめて新人医師を肘で突いたのを彼女は見逃さなかった。

彼女には聞かせてはならない事をウッカリと言ってしまったのか。
じゃ、主治医は指示だけして何をしていたのか。ベテランとしての重要な部分の執刀はしなかったのか。
 
にも拘わらず、その主治医は
「全身麻痺にならず車椅子にも成らず、命も救ってあげたのだから其れだけでも感謝して貰いたい」とでも思って居るのか?
其の後、執刀した若手医師は別の病院に配属された。

6年11カ月も過ぎて漸く後遺症が徐々に酷くなって行くのはおかしい❓と気付いた彼女は新人医師が何かしらのミスを起こしたのかも知れないと思っている。然し、主治医は口をつぐんでいる。

彼女も、主治医に疑問を訴えて強く出れば良かったのかも知れないが、
益々体調が悪くなってきた彼女は月々の検診の他に受けている半年検診の日に診察室で主治医を前に夫と共に向き合っていた。

夫が○○医師に尋ねた。
「先生は施術日以降、毎日妻の病室に様子を診に来ていた、あの若手医師に執刀させたのですか❓

「緊急搬送で救急病院では無いのに救急救命士が連絡し受け入れ体制🆗だから妻を搬送して貰い緊急手術をして貰った訳ですが、そんな緊急時に何故ベテランの貴方でなくペアの若手医師に執刀をさせたのか不思議でなりません。

「常に手術室には10名以上の医師が居り貴方と同等の腕の医師も居たはずです❗
「愕然としているのは、徐々にゆっくりと妻は右縦半身か下半身麻痺になると平然と言える事です」

「車椅子生活と予測されていて何故言わなかったのですか❗
「脊髄にメスが触れてはならない難しいという手術に経験の浅い医師にメスを持たせたから脊髄か神経に傷をつけてしまったのではないのですか❗

「異論があったらどうぞ」の話に
 
医師は、それらの質問には答えず若手は様々な経験をして知識と技術を身につけてゆきますからねぇ...』と声が小さくなり無言の儘の医師。
 
彼女は夫と診察室を出る際、医師に聞いてみた。
 「電動ドリルで穴を空けボルトで繋げてある腰骨のネジを外すとどうなりますか」と聞くと

医師は「穴が塞がるまでに1年以上かかって激痛に襲われるますよ。だから御勧め出来ませんねぇ」と、其のような患者の激痛など経験した事のない医師は、患者の涙など見飽きていると言わんばかりの無表情な顔で答えた。
 
 病院では、連係医療室で紹介状を書いて貰うように主治医に頼む制度になっていて、夫が調べた2院からの選択となった。
彼女は曖昧な答えしか出せない主治医には任せられないと思っていた。

又、次の医師も同じ見解なら他院と相談しながら紹介状を書いて貰う積りで再手術出来る医師と出会うまで探し続ける決心をした。
 
然し、彼女は右縦半身麻痺になったら身支度や文字も書けない、お化粧もだめだ、料理をする為の肝心な包丁も使えなくなると思うと涙が溢れた。
只でさえ彼女は事故以前からの難病レストレスレッグス症候群で「歩行時はビー玉を踏んでいるようでバランスが悪くフラフラする」と言っていた。

冗談じゃない

6年11カ月もの間「チタンボルトには医師番号が打たれている、だから他の病院の医師によって安全に取り外すことがしたくても其の医師は免許剥奪になるから出来ない」と言う主治医からの話を信じていた彼女。

これは彼女の主治医の「ホンの冗談だった」と.....
連携医事科の人と話していた時だった 「そんなこと無いですよ。ポルトに刻印なんて打たれてないし免許剥奪も主治医の冗談ですよ!」

そう言われ驚いた彼女に対して
「そんな訳有るはずないですよ。何処の病院に転院しても貴女の自由ですし其処でどんな治療や手術をするかは患者さんの自由ですから」と笑われたのだ。

6年余り、主治医の言葉を信じて転院は出来ないものと思い込んでいた彼女は医師を信じられなくなっていた。

自転車も軽車両である

自転車は道路交通法上は軽車両と位置付けられている。
信号機のある交差点では、信号が青になってから安全確認し横断する事になって居る。信号機が有ろうが無かろうが常に安全を図って乗るべきものです。
 
又、後ろから来て歩行者を追い越して行く場合は直前でなく早めにベルを鳴らして貰いたい。
 
近年、耳にする自転車の加害事故ですが、歩行者に追突して走り去る事故も多くなった。
 
自転車事故の被害に遭われた為に、3年経った今も寝たきりで、脳脊髄液が漏れ治療を繰り返しているが、相手の自転車保険会社は事故を認めず不支給で加害者の男子高校生からの謝罪すら無しと言う話も有ります。
 
事故には、診察や手術や御家族の介護など費用も人手も掛かってきます、
相手が判れば損害賠償も出来ます(9800万円と言う額も聞きます)
やはり、警察に働きかけて動いて貰うべきですが、加害者本人には悪気も無く謝罪も無く加害者としての意識も有りません。此れは罪です。
 
先の話の被害に遭われた女性は、其れまでの健やかな生活を奪われ、痛みと辛さと不安の中で生活して居られます。

目撃情報収集の重要性

目撃情報の立て看板

加害者は検挙されていません。逃げ得です。
初期の段階で、彼女の御主人は警察への強い働き掛けはされなかったのか。

 然し、交差点での事故なので目撃者は結構居た筈、目撃情報を呼びかける看板を設置して貰えば状況は変わったかも知れなかった。

 交差点での目撃情報を呼びかける立て看板は時々見掛ける。
主に、ひき逃げ・当て逃げ事故などでの看板が多いようだ。
自転車も軽車両なら当て逃げと見られる事故で被害者は当然警察に看板設置を要求出来たのではないか。

人の記憶は時が経てば経つほど薄れて行く。
増してや事故の目撃情報は速やかに収集されなければ成らない。
御家族は何故、直ぐに気付かなかったのか、

せめて1周間の間にでも対処をされていればと思うが、今となっては泣き寝入りも仕方なく、加害者は知ってか知らずか、イヤ知っている筈ですが、
罪の意識もなく、彼女が痛みに苦しむ毎日を送っている事も知らずに普通に暮らして居るのです。

事故被害の彼女も手術のミスか後遺症の為に此れから先も痛みと痺れと苦しみの余生を送らなければ成らないのだろうか。

自転車は手軽な乗り物ですが、やはりスピードを出して走行する、スマホを見ながら乗る、様々な危険運転もある訳で、個々の自覚で、あくまでも安全運転で使用して貰いたいものです。

最後に、面白い自転車を....

三角車輪の自転車。結構スムーズに走るそうです。
四角い車輪の自転車も有ります。勿論、走ります。