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「疲れたから会いたくない」

発端は「ちょっとめんどくさいなぁ」だったのに、だんだんと「ちょっとめんどくさいなぁ」と思ってしまったことに後ろめたさを感じて
自分から追い立てられ勝手に行き詰まって



こんなことをされたんだから私が彼女(彼)に対して無関心になるのは当たり前だ、なんて
他人を攻撃することで自分の面倒くささを正当化しようとすることがある。


好ましくない感情が生まれたとき
そのような感情を抱く自分に罪悪感を感じるため「好ましくない感情を持つことには正当性がある」と理由を探すことで自分を守りたいんだろう。


「疲れたから会いたくない」とか、
「会いたいけど今日は家から一歩も出たくない」とか、そのまんま伝えれば良いだけなのにね。


常に真実を話さなくちゃならない
なぜならあとは相手の問題になる

ショーン・コネリー



以前も書いたけど
これを言ったら相手がこう受け止めて
私のことをこう思って、こうなってああなって…と1から100まで考え、
考えつくして疲れ果てた挙句
本当のこととは真逆のことを伝えることがある。

この流れはとても疲れる。
だけど人間関係において
これをせずにはいられない。


だからプライベートで
人と接するのは疲れる。

たとえそれが血の繋がった家族であろうとも。


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