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正欲

正欲。
1年ほど前に原作を読んで、衝撃を受けて映画化が決まって早く観たいなと思ってようやく映画を観ることができた。
映画前にもう1回読みたくて文庫版を買って読んだ。2回目だからスラスラ読めるかなと思ったけど、内容を全部覚えてるわけではなくて、だから、2回目だからこそ、すっごく心に響いてしまった。
最初の10ページで、ああそうそうこれだと。

私は、明日死にたくない人ではない。と思う。
毎日を生きたいとは思っていない。どちらかというと明日死にたい人の分類ではあると思う。でも別に死にたいわけではない。でもただ無性に死にたくなる時はあって、それは別に理由なんてなくてただ生きるのが苦しくて、辛くて、どうしようもなくなってしまう時がある。
「死んでしまいたいと思うとき、そこに明確な理由はない。」
朝井リョウさんの本で好きな台詞だ。本当にそうなのだ。理由なんてないのだ。でもみんな理由を聞きたがる。探りたがる。死にたいなんて言ってしまえば、どうしたの?何があったの?大丈夫?と心配という名の詮索が始まる。ほっといてほしいのに。
そして正欲で朝井さんはこう言ってる。
「社会からほっとかれるには社会の一員になるのが手っ取り早い」
まさしくその通りだ。本当朝井さんはその通りのことをちゃんと教えてくれて、私の心をいつも救ってくれる。ほっといてくれれば勝手に生きるのに。
でもほっといてくれないのが人間で、そしてほっといてくれって思うくせに助けてくれって思ってしまうのが人間だ。要は寂しいのだ。どんな人でも。

正欲でも人の繋がりがすごく表れている。人間1人で生き抜くのは結局難しくて、でも分かり合える人なんてごく少数で、そんな中みんな分かり合える、支え合える人を探しながら歩きもがきながら息をしている。
正欲の中の台詞で「誰もひとりでいないといいよ」
と言うところがある。ある性的指向の彼らが1人で生きることをやめて、助け合って生きることを選んだ後の台詞だ。
私は常々思うことがあって、それは誰もがみんな幸せになれたらいいのにということだ。どうしてこの世界は誰かが不幸になるようにできているのか。そうじゃないと辻褄が合わないのか。なんでみんなが幸せになれるような世界ではないのだろう。本当に本当に心から、誰もが誰かと生きていけるような世界になったらいいなと思う。誰もひとりぼっちにならずに、みんなちゃんと見つけられて生きて欲しい。私も、私も誰かに見つけられたい。でも誰にも見つかりたくない。そんな葛藤をここ数年やり続けている。

映画のシーンで
「この世界を生きていくために手を組みませんか」
と言って指輪を渡すシーンがある。ある意味プロポーズだ。原作を読んでたのでその台詞はちゃんと覚えてて、あ、ここで言うなと思った時すごい感情がのし上がってきて、気づいたら涙が出ていた。ああ、よかった、2人が出会えてよかった、2人が生きていくことを決めてくれてよかった。そう思った。ボロボロ涙が止まらなくなって、誰かと生きるってとても素敵なことだと感じた。

好きなシーンがたくさんあって、友人と帰りの車中であそこもよかったよね、あの台詞好きだったな、原作ではこうだったよねとか言い合いながら帰ったのがすごく楽しくて、映画は最近1人でもっぱら観てたけど、やっぱり誰かと感想を共有できるというのはとても良いことだなと思った。

「あってはならない感情なんてこの世にない。
それはつまり、いてはいけない人なんてこの世にいないということだ。」
この言葉でどれだけの人が救われているのだろう。正欲を読んで、正欲を観て、どれだけの人が共感して、繋がりを求めて、息をしようと思うのだろう。
この世界の希望となって、いろんな葛藤がある人を助けてくれたらいい。そして、そんな人が誰かと生きていけたらいい。みんなが幸せになれたらいい。

あ、まず原作を読んでから映画を観ることおすすめします。とっても良かったです。是非。

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