見出し画像

「母の日」〜生まれてきてくれてありがとう。

( 時々妻の原稿を掲載します。) 

皆様、こんにちは。服部剛の妻です。いつも夫がお世話になっております。

昨日は母の日でした。
皆様はどんな「ありがとう」を伝えましたか?
私の母は20年前に天国にいってしまったため、直接の「ありがとう」は言えませんが、心の中で手を合わせました。

特別な日曜日

周ちゃんへ。
「昨日は日曜だけど、パパは文学の学会に出席していて留守でした。でもママとゆっくりできたね。

毎日学校に通い、夕方はほとんどがデイ(放課後等デイサービス) に行く日々。土曜もデイに行くから、ママやパパとのんびりする日曜や祝日は大切な日だよね。

ママはお仕事をかけ持ちしているから、なかなか周ちゃんとゆっくり過ごせないことを申し訳ないな、と思っています。だから、何もない日はたくさん笑って一緒にいられたら、と願っています。

周ちゃんは歩くのが大好きで、天気の良い日は家の近所を散歩、風を感じ、花を愛で、川のせせらぎを聴いて、全身で外の世界を味わう幸せなひと時。

車が来ても危険を察知できない周ちゃんのそばにいると、笑みを浮かべて見つめてくれて、ママは嬉しいです」  

周の成長について

周は中学生になり、12歳にしては体が小さく、心も幼いように感じます。

実際の半分ほどの年齢に思いがちですが、最近はふと見せる表情や仕草に成長を気づかされることも多く、少年になってきたな、としみじみ思います。

親としても、周の成長に合わせて関わり方を考え、愛と知恵をもって育んでいかなくては、と考えています。

私の本当の想い

写真は、ある新聞社の取材を受けた時のものです。周が保育園に通っていた頃に、お話を頂きました。

父親が詩人として、あえて周の顔や名前を出して、詩だけではなく写真やエッセイなどでも息子への想いを発信しているため、取材の依頼を受けることがあります。

周が生まれた時は低体重 (1720g) で、出生後すぐNICU (新生児集中治療室) に運ばれました。心臓に穴が空いており、私は健康な体に産んであげられなかったことが悲しくて、泣き崩れました。

また、遺伝子検査で21番目の染色体が1本多いことがわかり、「ダウン症候群」 と診断され、自分の経験したことがない人生を生きる息子を前に、不安と絶望で怯えました。

さらに、ヤングケアラーとして長年、障がいを負った両親を看てきた疲弊感が私には残っており、周の看護や療育の日々に自分の心身がもつかどうか、自信がありませんでした。

周は生後、入退院を繰り返していたため、私が自分自身を冷静に見つめるゆとりはありませんでした。しかし、取材を受けたのは、周はモンテッソーリ教育のカトリック保育園に通い、母親の私も保育園から心身の支援を受けていた時期でした。なので、周が生まれてきた道のりを俯瞰してお話しできたのかもしれません。

思えば、今までたくさんの方々の愛と支えを頂いてきました。周を授からなければ出逢えなかった方々、気づかなかったことが数多あります。  

「ママありがとう」

周は知的ハンディがあり、物事の理解がむずかしく、話すこともできません。毎年の母の日に、「ママありがとう」と言葉で伝えてもらうことはありません。

しかしいつでも、とびきりの笑顔で愛と感謝を表してくれており、周から歓びとねぎらいをもらっています。それを実感できていることが幸せです。周と共に歩む意味に気づいた 「母の日」 でした。

※ 今回は息子が我が家で暮らし始めた後、初めて入院していた時に、夫が書いた詩をお届けします。

ここから先は

372字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?