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遠慮し過ぎないという気遣い

たとえば仕事場に入ろうとした際、ちょうど部屋から出てきた後輩がドアを開けて「どうぞ」と迎え入れてくれたとき。

「あ、いえいえ、お先にどうぞ」と譲ると、
「あ、いえいえ、あの、そちらから」となったり、しますよね。

この変な間を避ける為に、わたしは「どうぞ」と言われたら、「ありがとうございます!」と言って先に通るようにしています。

だってそうすれば、相手もわたしも気分が良いから(たぶん)。

先方は、恐らく年輩のわたしを慮って先に通そうとしてくださったのでしょう。
そこでわたしが頑固に「いえいえ、そちらがお先に」と貫き通せば、相手は最終的に折れて先に通り、且つわたしに対して「すみません」と謝ることになる未来が予想されます。

それって本当に気遣いと言えるのだろうか
と思うのです。

せっかくのお気遣いを無に帰しただけでは?
遠慮合戦に、年を利用して勝っただけでは?

出張とか外出のお土産でちょっとした、焼き菓子とか飴ちゃんなんかを頂いたときも、そうです。

人によっては「やだ、気を遣わなくてよかったのに」とか「わざわざすみません」とか妙に恐縮した態度をとる方もいらっしゃいます。

でもわたしは、相手が余程きらいな人でない限り、まずは喜びます。
だって、お土産を買って来てくれたということは、どこかに出かけたときに「あいつらにも買ってってやろ」と思い出してくれたわけですよね。

あら、嬉しい。

というわけで、わたしは「やったー!」と素直に喜びを表現します。

ただ、この手放しの喝采が相手への圧力となって「毎回何か買ってこなくては」とストレスになるのは本意ではありません。
だから追伸として「でも、次回からはお構いなく」と添えるようにしています。

歳を重ねるにつけ、周りから気遣われることが増えたなと感じます。

20代の頃は「若いんだから階段で行きなさい」と言われていたのに、最近はエレベーター待ってくれるようになったなとか。

お若い方が何か発言をしたあと、明らかにわたしの顔色を窺っているなとか。

この分だと、初めての「電車で席を譲られる」体験も近いかもしれません。

でも、そのお気遣いが余程重いとか身に余るものでない限り、相手からのご厚意には遠慮し過ぎず、甘えておくが吉、とわたしは思っています。

10代だった頃、お年寄りに席を譲ろうとしたら「そんな歳じゃない!」と怒られて半泣きになった身としては、席くらい、ドーンと笑顔で譲られようじゃないかと思うのです。

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