ぼっち・ざ・ろっく!と私のフラッシュバック①(30チャday26、日記30)

(今回も暗いです)

最近感情の浮き沈みが激しかったこともあり、重い映画を観る気がしなくて、アニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』(以下、ぼざろ)を観直していた。

とは言ったものの、ぼざろにも感情を刺激する要素は大いにある。第一に「ロック=軽音」要素、第二に「フラッシュバック」である。

第一のロックは、私にとってあまりにも重い要素を潜在的に有している。なぜなら、私の亡くなった親友がバンドマンだったからである。彼と知り合ったのは、私が学部一年生の時に軽音部のゴミども(あえて蔑称)とつるんでいた時のことである。ちなみに彼らのバンド名は「乱〇パーティ」だった(略して乱パ)。奴らは面白いやつがいるからと私に紹介したがった。

そもそも軽音部でもない私が奴らとつるんでいた理由は、私が自己紹介時に好きなバンドはELLEGARDENと言い放ち、そして彼らのうちの一人と英語のクラスが同じだったからである。音楽好きと友達になるのは、私の高校時代からの夢だった。高校時代はずっとボッチだったため(それこそぼっちちゃんのように)、好きなバンドの話をずっとしたかった。私はボッチだった間、ずっとウォークマン(死語)で邦ロックやテクノを聴いて寂しさを紛らわしていた。なぜ邦ロックが好きになったかというと、中学時代の受験期にずっとラジオ「スクール・オブ・ロック」を聞いていたのと、そのころの家庭教師がバンドマンだったからである(高校時代の僧侶家庭教師とは異なる)。

それで、奴らよりもその親友と仲良くなった。なぜなら奴らよりも音楽の趣味が合ったからと、彼が非常に面白い人物だったからである(彼がどのように面白かったかは割愛する)。中学時代の家庭教師ギタリストの影響で、ロキノン系の邦ロックに染まっていた私は、しばしばロックについて彼と語り合った。音楽友達を紹介してくれたり、自身のライブに呼んでくれたりもした。そういえばギターも貸してくれた。

このライブ時、彼がステージの上で(何の曲だったかは忘れたが)東京事変の曲をかき鳴らしていた情景が今も脳裏に焼き付いている。ぼざろのライブシーン、特に最初のオーディションの場面などは、彼の輝いていた姿とどうしてもオーバーラップしてしまう。

彼が今も生きていれば、ぼざろについて語り合えるのになあと思わずにはいられないのだ。ぼざろは、我々が当時聴いていたサウンドをそのままアニメに持ち込んだのだから。

それで彼の自殺以降、私は頻繁にフラッシュバックを起こすようになった。この点については次回

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