kawaii future bassとうごくちゃんと懐古(30チャday19、日記23)

※今日の日記は憂鬱かつセンシティブな、また個人的な内容を含みます。苦手な方はいつでもブラウザバックしてください。

今日はとても憂鬱な一日だった。なのでオンライン英会話もテンションの高いフィリピン人を避け、比較的ダウナーなセルビア人とニュートラルなウガンダ人を選んだ。これは正解だった。

最近トリップできる曲を探していた。それでこの記事を読み、BPM15Qを知った。はくちゅーむはガチでよくて、ちょっと頭を抱えてしまった(もしあのちゃんを相対性理論がプロデュースして、それをヤスタカが本気でremixしてもここまでキャッチーにならんだろう)。そこからfuture bassとオタクカルチャーが融合した音楽ジャンルであるkawaii future bassにハマりかけていて、昨日の夜はずっとsoundcloudで曲を漁っていた。

そのとき流れてきたのが故・うごくちゃんの「曖昧サイボーグ」remixである。

このremixは素晴らしい出来だ。私の貧弱な語彙のせいでうまく説明できないことが悔やまれる(こっちも凄い)。第一、声質が唯一無二だ。これを聴いて、私はうごくちゃんについてもっと知りたくなった。私は彼女のリアルタイムな視聴者ではなかったから(ただ、KUNやオパシなど彼女とかかわりのあったゲーム実況者はそれなりに見てきている)。それで昼食をとりながら過去の動画を漁っていると、彼女が亡くなったときの様々な動画が紐づいてきた。

なかでも、うごくちゃんと活動していた人物である総長ウララ氏(私は初めて知った)の動画が衝撃的だった。彼は大切な友人が自殺でなくなった際の自身の反応を動画に残していた。これはとんでもない勇気だと思う。もちろん配信者として色々説明責任があったのだろうが、自身のトラウマを傷口を全世界に公開してしまったわけだから。

彼が動画の最後で、この悲しみを忘れるのが怖いと言っていたのが一番印象的だった。忘れてさえいなければ、あの時の感情を思い出せば、まだずっとうごくちゃんと一緒にいるような気分になれるのだと(そして、他の経験者がいうには、何年たっても忘れないだろうと)。また、この気持ちはうまく説明できないとも言っていた。確かに、言語化することでなにか零れ落ちてしまうものがあるかもしれない(はっきりと明文化してしまうことで、決着が着いたふうになるのは怖い)。

個人的な話になるが、私も学部時代に親友(と呼べる資格があるのかは不明だが)を自殺で亡くしている。だからこの動画にとても共感してしまった。もちろん状況は様々に違うから「共感」なんて言葉を使うのは危うい、というかもはや誤りなのだが。それでも、私の当時感じた苦しみを代弁してくれているような気持になって、最後まで見入ってしまった。そんな動画は見たことがなかったから。

あの時自分がこうしていれば、あの人は死ななかったかもしれない。こういった想像は無限に繰り返される。その想像の虚しさ・無意味さ・烏滸がましさを、自身の無力さと共に何度も噛み締める。そしてこの理不尽な世界に対する怒りと憎しみを抱え、それでもなんとか前向きに生きていこうともがくのだ。

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