病院の待合室のTVは滅びろ(30チャday29、日記33)

許せねェ~~~~~~~~~ッ

今日は腰のリハビリに整形外科に行ってきた。

病院の待合室では、くだらない番組が四六時中垂れ流されている。不必要な商品を割引で買わせることに躍起になっている。芸人たちは楽しくもなさそうに空虚なオーバーリアクションを繰り返す。本当にこれでいいのだろうか。しかし老人たちはそれに見入っている。やはりニーズがあるから提供されているのだろう。あるいは、架空のニーズがテレビ局によって捏造されているとも考えられる。悲しくなってくる。どうでもいい情報で私の脳を侵さないでくれ。

しかし、いつ自分の番号札が呼ばれるかわからないので、耳をふさぐことはできない。したがって、この忌まわしき音声から逃れるすべはない。せめてナショジオとかにしてくれ。教育的効果のあるものにしてくれ。誰が設定しているのだ?あれは。

私はテレビが嫌いだ。実家でも、私だけテレビと逆方向にすわって食事をとっていた。一方、父親は大のテレビ好きで、大量によくわからない番組を録画していた。母親も、朝のニュースぐらいは見ろという。朝のニュース番組を聞くことで、起床時間が固定され、日々のサイクルが安定するのだとか。

私は意志が弱い。それに器用ではない。だから、一度画面を見てしまえば、テレビのような視聴率のために画面に視線を釘付けにするような工夫の施された装置から目を離せなくなる(これは、悪い意味での「イメージの力」だ)。発達障害傾向と現実逃避癖が最大限に発揮される。したがって、朝の時間をテレビ番組で固定するなどという芸当は私にはできない。第一、私は私を行動不能に陥らせるテレビが憎くて憎くて仕方がないのだ。これがイヤで、一人暮らしをしたかったのもある。

一人暮らしをしてからも、親は私にテレビを見せたいらしく、あるとき薄型テレビを勝手に部屋に設置した。しかし私は三回くらいしか使わなかったので、送り返すことにした(三回とは、指導教官の出た番組、友人らと見た千と千尋、國分功一郎のエチカ回である)。

両親の思惑には、私に世間から置き去りにされてほしくないという思いがあったらしい。だから、テレビニュースをチェックしてほしいと。朝だけでもいいから。しかし、そもそも今の時代にテレビのニュースがどれほど価値を有しているだろうか?ネットニュースを一瞬確認すれば事足りるだろうに。テレビと違って、好きな時間に必要な分量だけチェックできるのに、なぜテレビにこだわるのか?それは彼らのこれまでの生きてきた経験を否定したくないからかもしれない。ただ、最近はもう何も言われなくなったので、いい加減諦めたらしい。良かった良かった。

テレビを破壊せよ!!!!!!!!!!

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