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SBCのラズベリーモカと「イメージの力」(30チャday14、日記18)

書くネタが尽きてきたな。二週間も連続で書いてると。日記なんだからネタなんて要らないとは思うが。書くための動機づけとして、書きたいことがないと筆が進まないのは当たり前だろう。もうやめてもいいのだが、せっかくここまで続けてきたのだから、どうせなら30日間チャレンジを達成したい。内容を薄くするのを恐れないことが継続には大事かもしれない。


今日はゼミのメンズ三人で森美の展覧会に行く予定だったが、一人が風邪で来られなくなったので急遽マンツーマンに。しかも恐ろしいことに、私は前期の授業にほとんど出ていなかったから、ほぼ初対面の相手といきなり展覧会を回るという地獄みたいな状況になりかけた。それはさすがに気まずくて展示内容も頭に入ってこないと思われたので、まずは近場のシアトルズベストコーヒーでお茶をしてから行くことに。

シアトルズベストコーヒー(以下、SBC)は十年前、私が地元・富山県で愛用していたカフェだ。雪が降り積もり凍えるなか、富山駅にあるこのSBCで手を温めながら勉強していた記憶が懐かしい。私は冬季限定のダークチョコレートラズベリーモカ(語呂が良く、何度も唱えたくなる)を愛飲していた。甘酸っぱいラズベリーソースのかかった冷たいホイップと、劇甘のホットチョコレートモカが口の中で混ざり合う一口目を、毎度心待ちにしていた。現在は「ラズベリーモカ キッス」の名前でたまに復活しているらしい。久しぶりにまた飲んでみたくなった。

(画像出典:http://lunchpress.com/2016/12/12426)

それで後輩とは「イメージの力」(デイビッド・フリードバーグ、他)について語り合った。定義によると思うのだが、これまでにもっとも「力(ちから)」を感じたイメージは何か。もっともハッとさせられ、それ以降の人生を塗り替えてしまうような、そういう類の力強いイメージ。美学芸術学を志す者ならば、誰でもその一つや二つくらいあるはずだ(ラズベリーモカの画像にときめいたのもそう?)。私の場合は、たとえば上野の西洋美術館にある初期ネーデルラント絵画、ディルク・バウツ派の二連画《悲しみの聖母荊冠のキリスト》かもしれない。

ディルク・バウツ派《悲しみの聖母/荊冠のキリスト》1450年頃、国立西洋美術館蔵
(画像出典:https://tokyoaltphoto.com/2019/08/art-crticizm-workshop-dirk-bouts/)

荊冠のキリストに祈りを捧げる、聖母マリアの泣きはらし充血した目・流れ落ちる涙は、観る者を感情移入させずにはいられない。ロヒール・ファン・デル・ウェイデンの影響下にある、迫真的な涙の表現。物語性を排したシンプルな金地の背景に、胸から上のみを切り取った半身像の二連画という形式であることも、観者の心理的接近・自己投影を容易にしている(シクステン・リングボムによる「劇的クローズアップ」の議論も参照)。こうした観者を否が応でも引き込むような作品は、まさに「イメージの力」を有していると言ってもいいだろう。私はこうした作品に、当時の信徒たちの敬虔な心の反映を見、胸を打たれたのだった。そしてその経験が私の心を美術史研究につなぎとめている一因であることは疑い得ない。


……ものすごく薄い日記を書くつもりが、荒い鼻息が聞こえてきそうな内容になってしまった。これ以上書くと眠れなくなりそうなので、ここらへんでやめときます。

関連文献:
ディルク・バウツの涙を流す〈荊冠のキリスト〉
新収作品

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