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星空の下、ポッライオーロに思いを馳せる(30チャday25、日記29)

今日は四時過ぎに起きて、五時ごろにいつもの散歩コースを歩いた。いつもはもっと明るくなってから散歩してたから、明け方の景色は新鮮だった。東京でも意外と星空が見えるものだ。

誰かも言ってた 都会には空はあるけど 狭くて 真っ暗だらけだよ
見えない向こうに 宇宙中星は変わらず広くて 無限な世界なの
都会の星は 少ないんじゃなく 雲に埋もれて ズルル ズル スベル

Perfume「モノクロームエフェクト」(2006)より

こう見えて私は上京する前の中学・高校時代、夜中に家を抜け出して友人と天体観望に出かけていた。天体「観測」というのは計測の意味を含むので、この場合は誤りだ。私が午前二時に友人と河原で待ち合わせしていたのは、もちろんBUMPの影響だが。

ふたご座流星群を見たくて、寒い中自分の部屋の窓を抜け出し、瓦の屋根の上に登って夜を明かした。今思えば、足元は夜露に濡れてめちゃめちゃ危険だった。瓦がガチャガチャ言うので、家族には泥棒かと勘違いされた。流れ星が観たいのもあるが、ルールを破るスリルがあったのも確かだ。中学の友達が父と喧嘩して屋根の上で寝て一日を過ごした話が面白くて、それを真似てみようと思ったのが始まりだったと思う。マジで良い子はマネしないで。

でも、星空に対するあこがれは、思えば幼少期から存在した。幼稚園の頃、図鑑を見るのが好きで、家にあったキノコ図鑑とか星座図鑑を暇さえあれば眺めていた。星座の図鑑にはギリシャ神話の様々な神々が挿絵として挿入されていて、最もインパクトがあったのはヘラクレスだ。

アントニオ・デル・ポッライオーロ《ヒュドラとヘラクレス》1475年頃、板にテンペラ、17 x 12cm、フィレンツェ、ウフィツィ美術館蔵(画像出典:https://w.wiki/7Uns

実際、私が西洋美術に最初にコンタクトしたのはこの挿絵だったはず。もちろん幼い私の心をつかんだのは、この獅子を身にまとった奇抜で大胆なファッションだ。あと、蛇に噛まれた足が痛そうだと心配していた。ただ今思えば、深層心理のレベルでは、アビ・ヴァールブルクの言うような「パトスフォルメル(情念定型)」としての、棍棒を振り下ろす堂々たる身振りが脳裏に焼き付いていたのかもしれない。ポッライオーロに特徴的な、不自然なほど急激に後退する遠近法を用いた荒地の背景も、絵画のもたらす不思議な印象を胸に残していた。まさに「力あるイメージ」と言えるだろう。

こうした幼少期からの小さな積み重ねが、私を西洋美術へ導いたのだと思う。昨日の謎の日記(?)に引き続き、今回もギリシャ神話関連でした。

追記:ヘレクレス座は8月下旬に南中するとのことで、現在もまだまだ見られる時期のようだ。しかし等級の低い星ばかりなので、それこそ東京では難しいだろう。



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