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聡くて、上辺のスキルばかり達者な自分。

「空気読めない」と、開き直って、笑って平気でいる人への苛立ち

私は、気質なのか性格なのか?はたまた機能不全家庭に育って、親の顔色を見分けなきゃいけない環境にいたせいか?
人の気持ちに疎い人に対して、聡い方だと思う。

虐待加害者の父から受けた、激しい叱責・暴力・暴言・性加害・弟との比較・女らしさの押付け・長子として、姉としての完璧さへの要求の高さ…などなど思い出すと、真っ黒くて嫌な気持ちが浮き上がってくる。

せっかく安定しているので、フラッシュバック等避けるため、過去を掘り起こすのは、これぐらいにして、とりあえず、無言の圧で『空気を読むこと』のスパルタ訓練は受けまくったので、要らぬ想像までしてしまうほど、場の空気、人の顔色にはがついていておかしくないほど敏感である。

子供の頃は、それができなくて(当たり前なんですけど…)お酒に酔った父親からは殴られそうになるし、怒鳴られるしで、できない自分を自分で責めていた。

だから、例えば悩んでいて「空気読めなくて…大変で…」って哀しそうな人のことは、わかる気がするし、受け止められるし、許せるのだけど、
「全然、空気読めないから、みんなから色々言われちゃうんだよね〜」って開き直って、ガハガハ笑う人をみると、気分が悪い。
言ってる言葉は、そう変わらないのに、後者の人に腹立たしさすら覚える私は、その人に嫉妬しているのだろうか?

今だに、その自分の反応具合に戸惑うことがある。
かといって、明確に「開き直らないで空気読めよ」というセリフが頭に浮かぶ訳では無くて…なんだかモヤッとするのだ。

これには、自分なりの正解をまだ見つけてないので、「空気読めない」を開き直り笑う人間に会う度に、苛立ち、モヤモヤを抱える羽目になるのかもしれない…。

それに、空気読め過ぎると、表面的な人間関係は上手く行ってる様に思えても、自分がリラックスできなくて、すごく神経を使って疲れる。

ひとつのイベントを開くのに、主催者、企画者、イベントの司会進行、舞台などがあれば演者、食事などの準備があればケータリング…etc.きっとそれぞれにチームで動いて協力し合って、準備するだろう。
多分、私はひとつのイベントの上記の様な役割を最低3役ぐらいは無理してでも熟そうとしてしまう、完璧主義マルチタスクなんだと思う。

だから、物事を順序だてて整理してから、次の作業を進めれば良いものを、全てを同時進行しようとして無理するから、ゴールまでなかなかたどり着けないし、ゴールに着いた時点で、ぶっ倒れていたりする。

料理を作りながら、手品もして、司会進行してる様な神業を無理に繰り出そうとして、できなくて、落ち込むパターンになる。

頑張っても、頑張っても、神業なんだから、出てこないに決まっている。理想とするハードルが、エベレスト並だから、なんの準備も体力作りもせずに、挑んだところで、遭難か凍死して終わってしまう。

「空気読めないんです!ははは!!」
の人が、超人的に見えてるんだろうか?

私は、ずっと怯えていた。
その、よくわからない見えない、でも、読み続けなければならなそうな「空気」を、壊さないように、明るく振舞って、人に優しく親切にして、気を使って、下手に出て、謝って、色々なことをグッと我慢し、堪えてきた。
なのに、あの人は平気で笑う。
みんなが「え?何?今の?!」って、ハッとして固まってたり、唖然としたり、呆れていても…
意に返さず、我が道を行く。そんな人を見て、つい気持ちの中でキッと睨んでしまう。

まあ、その人と私を足して2で割ったくらいが、丁度良いんだろうけど…

人の裏側の事まで憶測して、振る舞うのは、全部が悪い事だとは思わないけど、時には「空気を読まない」人(自分)になって、もう少し肩の力を抜けたら疲れないのかな?

現実に見た、そのまま、ありのまま、言われた事実だけを受け止めて、あとは、「人は人、私は私」と、あまり揺れない自分でいられるようになりたいし、不要な役目も無理に引き受けないで、断ってみることや、下りてみるのも大事なのかもしれない。

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