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My脳内整理『反省すること』とは?

-反省とは、落ち込んだりすることではなく、失敗から得た学びを深める行為。


私は、子供の頃から『反省すること』について、酷く勘違いをしていた。
相手から叱責される恐怖、悲しませるという罪悪感から、しゅんとして、粛々と相手の説教を聞き流し、反省している風に見せることは、得意になってしまっていた。


しかしながら、失敗感で頭はいっぱいで、その場で取り繕うことばかりに集中してしまっていて、そこから学んで、改善を試みるまでに至らないので、似たような失敗を繰り返し続けてしまい、同じ人、似た人、同じ状況、似たような状況で悪循環に陥って、抜けられず、人と自分を恐れて、新しい人間関係の構築や、また新しい環境を見つけて行くという冒険も出来ずにいた。

1・2回目は許されても、それ以降に距離を置かれたり、叱られたり、知らぬ間に相手を傷つけていることも少なからずあった。

私が親や学校の教育者から学び取ってしまったのは、『怒られるような失敗は二度としてはいけない』『失敗を続けるのはダメ人間』というメッセージだった。

…なので、反省云々の前に、何故そのような失敗に至ったのか?すら、考えず、思考停止になっていた。
良いか・悪いかもしくは、100・0の考えなので、極端だ。
理屈がわからないので、体感で矛盾に気が付き、苦しくなるのだが、それはあってはならない感情なので、自分の内側に無理やり押し込めていた。


いつか失敗しない自分になるために、存在の不確かな神様によくお願いした。

多分、母は私に「失敗してもいいから、なんでも挑戦してみるのも良いのよ」的なことを言っていた様な気がするけど、私が何か失敗や問題を起こした時の、父親の厳しい叱責や、暴力や暴言の方がボリュームがデカすぎて、母の言葉は掻き消えていた。

母は、頑張ってと背中を押したり、優しく見守ったりはできる人だったけど、子供の事よりも、父の威厳を優先してしまう所があったので、父を建てるあまり、泣いて帰ってくる私を上手く受け止めきれずに、困惑するような人だった。

父は、失敗も落ち込みも、反抗も、全く許さなかった。影で母に甘えると、「お前はズルい人間だ」と、叱責されて、殴られそうになったり、実際に叩かれたと記憶する。

父が怒り狂うと、誰もそれを止められ無いので、厄介だった。

そんなことから、私は『失敗すること』に怯えて、学ぶなんて、発想は浮かぶ事がなかった。



-さて、長い長い前置きだったけれど、『反省する』とは?
ひとつは、失敗も起きたデメリットも踏まえて、責任を取ること。と、私は個人的に思っている。

辞書的な意味は以下(デジタル大辞泉)より引用

はん‐せい【反省】

読み方:はんせい
[名](スル)
1 自分のしてきた言動をかえりみて、その可否を改めて考えること。「常に—を怠らない」「一日の行動を—してみる」
2 自分のよくなかった点を認めて、改めようと考えること。「—の色が見られない」「誤ちを素直に—する」


それから、反省には、もうひとつあると思う。
それは、辞書的な意味の1に当たると思うが、失敗点だけを見るということでは無い。

『良かった点』にも目を向けるべきなのである。
どうしても、『反省』ときくと、人は自分の失敗ばかりに目が行きがちである。それは、改善した方が、好転する可能性があるのだから、改めて学びたい所ではある。

何かしてみて、感触が良かったこと、相手を喜ばせることができた、達成感が味わえた、物事がスムーズに進んだ…等は、引き続き行っていきたいところである。
『失敗点・悪かった点』からは、学び、何を変えれば良くなるのか?と考え、『成功点・良かった点』は、しばらく変えずに、続けてみること。
『良い点』を続けることで、更なる成果や効果が得られたり、積み重ねる事により、それが経験値になり、自信や評価に繋がって来るからだ。

私に足りなかったのは、『どうすれば良くなるのか?』という考えよりも、『良い点を見つけて、それを実行し続けてみる』という所が大きい。

反省して改善する事も必要だし難しい。技術も要る。
新しいことを受け止めて、取り入れて、実行するというのは、着慣れた服や靴を脱いで、まだ新品の服を着て、似合ってるかもわからず、肌触りもなんだか慣れなくて着心地の悪さを感じるからだ。

でも、例えばその服や靴を身につけていて、誰かが
「その服素敵だね、あなたにピッタリだよ」
「どこで買ったの?買い物上手ね、着易そう」
など、嬉しい評価や好意的な言葉をかけてくれたらどうだろう?
その身につけた服や靴を着続けたいとは思わないだろうか?
(洗濯しなきゃ!などのツッコミはまあ、あるとして、それは定期的にしてください。)(洗濯とは、再生なので、汚れはないか?繕う必要は無いか?等、それこそ確認して反省してみてはどうだろうか?)

その服(良い点)を着続けて、カスタマイズ(改善)していけば、その服は、あなたにとって唯一無二の素敵な衣装になって行く…と、想像するとワクワクしないだろうか?

『反省すること』は、確かに、人から指摘されることや何かを失敗することで訪れることが多い。
あまりハッピーな気づきや出来事では、ないかもしれない。
でも、その『気づき』が無ければ、起こっている問題と向き合うことも、それをより良くしていくことも始まらないし、出来ないのである。

葛藤も生まれるし、誰かとグループで話し合う場合に衝突が起こるかもしれない、忌憚ない意見に、思わず傷つくこともあるだろう。

かつての私の父の叱責は、度が過ぎるし、あれは体罰や虐待でしかない。
本当に私に『反省』を促したかったのであれば、叱り方の工夫という『反省』をすべきであった。



『反省』とは、本来なら理性的に行われるべきで、自分を必要以上に責めたり、また、表面上の形だけに留めてはいけない。
起きた事を、真摯に受け止め、向き合うこと、改善点があればそれを実行すること。良い部分は、評価されようがされまいが、(もし、たまたま良い評価がつけば尚更)とにかく伸ばして、続けること
だと思う。

それによって起こる葛藤や、悩みなどは、誰かに相談したり、思い込みを一旦棚上げして、新しい意見や提案を素直に受け入れてみること、1人で抱え込み過ぎない事が大切なのだと思う。

そうは言っても、結局私も未熟者なので、上記については、誰かに言っているというより、自分自身を説得している気がしている。

私の頭の『反省』についての脳内整理に付き合って下さった方々、ありがとう。どうだっただろうか?
色々な感想、意見はあるかもしれない。
何かあれば、気軽にコメントしてもらって構わない。
もちろん、読んでくれただけでも、感謝である。






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