あからん

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【短編】畳よ畳、畳さん

 微かに湿ってひんやりとした空気を纏い、私は畳の上に寝そべった。大きく深呼吸をすると、鼻腔に溜まるのは乾いた草の香り。  「ただいま」  実家のお座敷、仏間で私は大の字になって呟いた。小さい声で囁いたその声だったが、周りの静寂に当てられ、独りの八畳間に響いた。  廊下側、障子は一杯に開け放たれていて、その先大きな窓から差し込む陽光は、フローリングを朱色に染めていた。  ここを去ってから五年。その頃同じ空間で笑っていた祖父母は今、写真越しに私の事をじっと見つめてくる。何も語って

    • 【短編】夜と朝の自分

       吐きそうだ。本当に吐きそう。  とにかく気持ち悪い。今ここにいる自分がとても気持ち悪い。  憂鬱な気分でいるはずなのに、どこかそれに興奮していて、誰とも関わりたくないと思っているのに、友人から連絡がくれば心が躍って。  そんな自分が、とても大好きな自分が本当に気持ちが悪い。  黒くてドロドロしたものが内から湧き出てきそうだ。絶対に血ではない何か。今日食べた焼きそばでも、さっき吸い込んだ空気でもない。  そんな変なものが胸の中でうごめいて、のたうち回って、口から外に出ていきそ

      • 【短編】隣の席

         「おはよう」  隣の席の大田はいつも私に挨拶をしてくれる。別に特段仲がいいわけでもないのに、毎朝必ずおはようと言ってくれる。  「おはよ」  それに私はいつもそっけなく返している。  大田の席にはいつも数人が集まって、隣が少し騒がしくなる。私はそれを遠く聞き流して、すぐ横の窓外を眺めている。流れる雲とか、青い空とか。  今日は中庭で揺れる大きな木に目をやった。隣ではいつも通り男女の笑い声がする。  最初の頃は私のこと笑ってるのかと思ってたけど、多分そんなことはない。だって私

        • 【短編】落ちる星に願いを

           満天の星。  ビーズを床いっぱいに撒き散らしたように、星々は空を埋め尽くす。そんな夜空を眺める少女は、両手を絡めるようにその控えめな胸の前で合わせていた。  彼女の着る白のワンピースが夜風に揺られ、彼女の長く細やかな毛先から甘い香りが漂う。庭先、生え揃った緑の芝生の上、リビングの大窓から漏れる明かりが裸足で降り立つ少女の影を作る。  「いつまでそうしてるの。風引くわよー。早く家の中入りなさい」  「今日は流れ星が見える日なの。流れ星は、願い事を叶えてくれるのよ」  母の言葉

        【短編】畳よ畳、畳さん

          【短編】鉄の声

           私はこんなことをするために生まれてきたんじゃない。  私は、誰かをひもじくさせるために生まれてきたんじゃない。誰かに美味しいものを届けるために生まれてきたの。  私は誰かを囚えるために生まれてきたんじゃない。誰かを自由に羽ばたかせるために生まれてきたの。  私は誰かを泣かせるために生まれてきたんじゃない。誰かを笑わせるために生まれてきたの。  私は誰かを殺すためじゃない。誰かを救うために生まれてきたの。  それでも今日もどこかで私によって誰かが苦しむ。私によって誰かが悲しむ

          【短編】鉄の声

          【短編】走る車は正しい道をゆく

           今朝はとても目覚めが良かった。日曜、休日の私。壁にかかった時計に目をやると針は八時を示していた。  私は伸びをしてから、カーテンから漏れ入る薄い色をした朝日に誘われてベランダに出た。少しの眩しさに軽く目を細める。当たる日差しに温もりを感じながらも、吐く息の白さに、もうすぐそこまで来たの冬の訪れを予感した。  「おはよう」  道端をヒョコヒョコ歩く鳥に笑いかけてから、私はリビングへと向かった。  こんなに気持ちの良い朝に、最も合うものはこれしかないだろうと、私はキッチンで淹れ

          【短編】走る車は正しい道をゆく

          迷子

           私は昨日、敵を撃った。  血飛沫がとても綺麗で胸躍った。  反面、彼の服を漁ったとき、胸ポケットにあった写真はひどく私の胸を締め付けた。  どうすればよかったのだろうか。  彼だけに向けたはずの銃口は、彼の後ろ側にいる人間にも向けられていた。一人の向こう、何人もの人間、さらにその向こうの何人もの人間。  連なって繋がって、そこで私は改めて気付いた。  鉛の使い道はこれではないと。  

          【短編】努力を嗤う

           努力なんてクソ喰らえ。  それをモットーにずっと生きてきた。世の中才能でどうにかなるって信じて生きてきた。  「お前、なんでさっきあそこでパスしたの? 絶対シュート打ったほうが良かったって」  夕日も沈み切り、暗がりを真っ白な照明が照らすグラウンド。ボトルの水を流し込む俺に、チームメイトがそう言ってきた。  「わり、気をつけるわ」  俺が一言返すと笛がなる。  「はい、じゃあもう一回ね」  顧問がまた笛を鳴らすと、3対3のゲームが始まった。  「はいこっち」  「打たすなっ

          【短編】努力を嗤う

          【短編】空いた缶ビール

           私は本当に、あいつのことが好きだったのだろうか。  夏、光る星達は地上の明かりで厳選され、数個しか見えていない。そのくせ月は、しっかりと三日月形にぶら下がっていた。  狭いアパートのベランダで、風呂上がり、私は缶ビールの蓋をゆっくりと開けた。シュカッと小気味よい音が、遠くのエンジン音と混ざり消えゆく。  もうここに来て三年、下水の異臭とじっとりとした暑さには慣れた。この缶ビールの苦さにも。  そういえばあいつ、一回でも私に好きって言ってくれたかな。というか、私もあいつに好き

          【短編】空いた缶ビール

          【短編小説】木は知っている

           開けた草原の丘に佇む、一本の大きな木。それは、空をもを飲み込むほど枝葉をいっぱいに伸ばしていた。  私はこの木の名前を知らない。  それでも小さい頃からずっと、その木陰で本を読むのが好きだった。  たまに漏れる日の光がとても暖かくて、それでたまにうたた寝もして。この木はもたれ掛かる私を、いつも支えてくれていた。  手を触れればゴツゴツとしていて、力強さを感じさせてくれるのに、私が悲しんでいると必ず受け止めてくれる優しさもあって―。  私は優しく木に触れる。   「ねえ、あな

          【短編小説】木は知っている

          【短編】つばさ

           「私、空を飛んでみたい。自分の意志で自由に飛んでみたい」  西国の田舎町。まっさらな砂地が続きながら、たまにあるのが大きな畑。  そこで生まれ育った少女が一人、どこか誓うように夜空に願う。  キラキラと星が一杯に散らばる空の下、家のベランダで手を合わせる彼女は夜風にあたり、長い金の髪を揺らしていた。  「その為には翼がいるね」  どこからか響くその声。  少女は辺りを見回すが、果たしてどこにいるのか、見つからない。  「僕があげても良いよ」  「え?」  ふわりふわりと花び

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          【短編】鎌

           昨日、隣の家の前田さんが亡くなった。   一昨日には、向かいの家の佐藤さんが亡くなった。  一週間前は左の家の柏さん家族三人が亡くなった。  じゃあ次はそろそろ家だろう。  私は迫りくる死神が、常に首元を狩ろうとしているように感じていた。  夕暮れ時、仕事帰りで、てくてく駅から家へと歩く。  車たちは絶え間なく轟音を出して、私のすぐ横を風切っていく。本当に危ない。  以前まではたくさん人がいたのに、最近はやけに道を歩く人が少ない。  あれ、ここどこだ。  聞こえていた轟音は

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          【短編小説】ケチャップを嫌う

           俺はケチャップが嫌いだ。  朝食のスクランブルエッグにかかっていた日には、見るだけで吐き気がする。  「おはよう、あなた。朝食できてるわよ」  いつもより遅めの起床。  リビングの大きな窓の向こう、庭の芝生が青々と陽光に照らされている。眩しいくらいだ。  テーブルの席についた俺は、用意されたコーヒーに手を伸ばした。  一口含んでその香りを楽しむ。  トロッとした酸っぱさに、少し鼻を抜けるような爽やかさ。一日の始まりに相応しい。  そして俺は、焼き立てのトーストにお気に入りの

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          【短編小説】ケチャップを嫌う

          【短編】何もなくなっちゃった。

           「大丈夫。大丈夫」  「うん」  「我慢しよう」  「うん」  夜も更けた頃、それでも街は明るくうるさかった。  深く掘られた穴の中、揺れ動くのを感じながら、多くの人が身を寄せ合って、互いを励まし合う。  「お母さんっ! お母さんどこ!?」  「大丈夫っ。きっと大丈夫だから」  叫んで今にも穴から飛び出しそうな女の子を、少し顔にシワの入った女性が抱きついて制止した。  街のそこかしこは爆炎に包まれ、立ち昇る煙は黒く、空に近づくほど闇に紛れていく。  空から降ってくるのは、大

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          【短編】鉛を水に

           この世界ではかつて、とてつもないほど大規模な戦争が行われていた。その戦争で世界人口は半分に減り、大陸は月のようにぼこぼこになった。  それからそこに住む人びとは考えた。  戦争を、もっと安全に行おうと。    「おい、お前今日が初めの戦場か?」  「はいっ」  「まあ、そこまで気張んな。昔と違って死ぬこたぁねーから」  「はいっ」  背の高い、今にも服を八切らせそうなほど隆々とした筋肉をまとった兵が、新兵に話しかけた。  二人は他の仲間たちと共に北の大陸へと輸送されていた。

          【短編】鉛を水に

          【短編】あなたへ

           私が綴ったこの手紙は、果たしてあなたに届くのでしょうか。    拝啓    けんじくん、今日は私の上ばきをいっしょに探してくれてありがとう。  学校中探しまわってくれて、中庭の池の中まで見てくれて、服とかよごれちゃったよね。お母さんにおこられちゃうよね、ごめんね。  見つかったって言ったけど、本当は見つかってないんだ。けどさ、やっぱりけんじ君にはめいわくかけたくないよ。  いつもたくさん話しかけてくれるけど大じょうぶだよ。  ありがとう。                 

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