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私の恩人②

週に1度、根幹治療が始まった。歯科医師は1人だけ、どんな冷淡な態度でもどうでも良かった。「ずっと痛くて、最近は違和感しかなくて」震える声で説明をする。「良かったね、原因がわかって」
現在の根幹治療の方法はわからないけれど当時は針金のようなものをグリグリ入れて消毒のように事をして、綿のようなものを詰めた。初回の診察終了後は特に何も変わらなかった。
最初は仕方ない。帰って母に話した。まだ痛かったの?と不安な様子だったが、私はウキウキして、これで解放されるから!とひたすら安心材料を探しては雄弁に語った。
1ヶ月経った頃、走るとそこの歯のある場所に響くようになった。
そして違和感は再び痛みを伴うようになっていった。
どうしようもない不安に襲われたのだ。
何故?何故なの?と。
医師に伝える。そんなはずはないと言われた。
私はその医師を信頼するしかなかったので、ここで見放されたらもうどこにも行けない気がしていた。気力も体力もない。
仕事もしているし、疲れた身体はマイナス思考に拍車をかけたが、通い続ける方法しか思いつかない。
半年後、レントゲンを撮ってほしいと願い出た。明らかにおかしい。
毎日痛いのにレントゲンを撮っても変わらないよ!と医師は言う。
この頃、宗教にもはまった。
どんな病気も直すからという甘い文句にフラフラついていった。
宗教を否定する気はないけれど、私は少ないお給料から言われるままお金をだして、健康などこも痛くない身体が欲しくてお祈りをして集会に行き講演を聞いた。
何も変わらなかったので自然と足は遠退き、
大好きだった友人と疎遠になった。
何が正しくて何が間違っているのか?
私は一体何をしたのだろうか?
四季も感じなくなっていく。あの暑い夏のセミの声。
秋には寂しくなって金木犀の香が漂う。
冬は吐く息が白くなる。
そんな季節の移り変わりも、感じなくなった。
結局1年通った。痛くて我慢できないと話すと、仕事に集中すれば忘れるはずだと納得のいかない説明を聞きながら、歯科医院を後にする。明日も仕事だ。
車通勤での帰り道、良く路駐をして外に出て泣いた。
雨が降った翌日は水溜まりが出来ていて、ずっとそこを見ていた。
溶けてしまいたい。
死んでしまいたいとは違う、私は最初から存在しなかったことにしたい。
自死は他人を傷つける事をわかっていたから、溶けてしまってあの水溜まりのようになれたら。
車も自転車も、水を嫌がる大人ではない子供達がバシャバシャ通って行くんだろう。
何の感情も持たず、そこに少しだけ揺れている水溜まりは、必要とされていないのかもしれない。でもそれは凄く楽だ。
そんな事を考えながら馬鹿みたいに子供のように泣いた。
歯が痛くても死なないよ、
そんなことで泣くなよ
周りから言われた言葉を反芻する。
私は弱くてダメな人間だ、もっと辛い人がいる。最後はそういった区切りをつけて車に乗り込む。車に乗ろうが降りようが痛みは離れてはくれなかったし痛み止めは全く効かなかった。
仕事帰り、診察台に乗るやいなや抜歯をしてほしいと懇願した。
今週は様子をみて来週ね!と言われた。
抜歯はしてもらえなかった。
なるべく歯は残した方がいい。
歯科医師の見解はそれだった。
もういい。何の説明も頭に入ってこない。
そうですか。力なく答える。
1年間通ったけれど痛くて痛くてどうしようもなくなっではないか。
ここには来ない。決めた。
1年以上、朝嘔吐もするようになっていた。
何も食べていないので胃液しか出ない。
早朝嘔吐と言うらしいが、家のトイレでは家族にバレるので自室のゴミ箱に吐いた。私は24になった。
仕事に相変わらず集中出来なかったある日、私は職場で倒れた。
主任は、私の様子がおかしいことに随分前から気がついていたらしい。
面談をしましょうと見慣れた個室に通され、向かい合う。
涙がボロボロこぼれて止まらなくなり、驚いた主任が側に寄ってきてくれた。抱きついて泣いた。今まで職場の人には一切話すことのなかった19歳のあの日からの事を、記憶を辿りながら、仕事は辞めたくない、でももう続ける自信がないと過呼吸になった。
どのくらい時間が経過したのか覚えていない。
束ねた髪はグシャグシャで化粧も落ちていた。どうして言わなかったの?
主任はこれだけでも食べなさいとバナナを差し出してくれた。
美味しくてまた泣いた。
仕事は休んでも良いから続けなさい。と主任に言われて少しだけ救われたような気がした。
その前にどうにかしたい。
スマホで検索も出来なかったあの頃。
とにかく、抜歯をしてくれる歯科を見つけようと心に決めた。
家で1人でいるときに、雑誌の片隅に美容歯科の広告を見つけて、ここに予約を取って
歯並びを綺麗にしたいと言おう。
ついでに奥歯が痛いからそこも抜いてくださいと言ったら抜歯してくれるかも?
今考えるととんちんかんな話だが、私は真剣そのもの。
電話で予約を取り電車に乗り込む。
うっすらと手に汗をかいて足早にそこへ向かった。
受付の女性は、問診票を見ながらうちに来て良かったね!と言った。
診察室へ。ぶっきらぼうな男性の歯科医師。私の長い説明の後、いつもの流れでレントゲンを撮った。
「なんで?なんでこんなになるまでほっといた?隣の歯も抜かないとダメだ!見てごらん」そんな風に怒られても。
レントゲンを白い透明の黒板のような所に貼出す。
私の頬骨部分は素人が見ても明らかにまずいと感じるように真っ黒に写っていた。神経が通っていた部分は等に突き破りそこの下の部分は侵されている。
「これはなんですか?」「細菌です。すぐ抜くよ?いつがいい」
翌週と翌々週に1本ずつ抜歯した。
歯が何本なかろうが入れ歯になろうが、どうでも良かったので久しぶりに安心して眠りについた。明日の朝は怖くないかもしれなかった。
抜歯をしたらそのまんまではいられない。歯をいれなくてはならないので、しばらく通うことになるのだが、ここでもまた上手くいかなかった。
入れた歯が痛くて痛くてどうしようもないのだ。でもここを我慢すれば私は普通になれるんだ。
また歯科医師が首を傾げる。
もううちじゃわかんない、大学病院へ行って!
紹介状を渡されて、池袋の東武の公衆電話から用紙に書かれた番号にかけた。
予約を取り付けて、仕事をずる休みして大学病院へ。
どうやってたどり着いたのか?
覚えていない。パニック過ぎて混乱しすぎて全身の血液がドクドク流れているのを感じる。
そこで私は命の恩人と出会うこととなった。



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