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三千万円が消えても、気付かないADHD社長 【ADHDは荒野を目指す】

 6-33.

 台湾人女性と結婚し、台北に日本人向け進学塾を設立した僕は、ライバル塾による数々の妨害をもはねのけ、多くの社員や生徒を抱えるに至りました。

 けれども、ADHDである僕には、会社運営などうまく出来ません。特に人事は壊滅的で、オフィス内にはギスギスした雰囲気が漂い、辞めて行く社員の多い。
 その上、台湾人の妻とも関係がうまく行かず、結局離婚。

 そんな状況でも、肥大化した会社を支えるために、僕は週休ゼロ日で働き続けなければならず――肉体的にも精神的にも、どんどん疲弊して行きます。

 さらに、旧友であった社員の自殺未遂などもあり、僕は人生のやり直しを決意。
 塾の閉鎖に向けて、ゆっくりと準備を始めたのですが。

 そんなある日、経理の台湾人女性・イーティンが社長室にやって来て、言うのです。
 ――お金がありません、と。

 お金がない?

 何を言っているのだろう。
 僕は首を傾げながら、イーティンの顔を眺めました。

 ――何? 現金がないの?

 弁当代か何かの急な支払いが必要で、手元に現金がない――そんなことか、と僕は思ったのですが。

 深刻な表情のイーティンは、首を左右に振って、言うのです。
 ――塾にはもう、お金がありません。

 ……何を言っているのだろう?

 僕には、イーティンの言葉の意味が分かりませんでした。

 勿論文字通り分からなかったのではありません。
 彼女は既に勤続七年、日本語に囲まれて生きて来たお陰で、日本語能力はかなり高い物になっていました。
 ――十年以上台湾に住んでいる僕の中国語よりも、遥かに。

 でも、塾の口座にお金がない――そんなことは、あり得ないのです。
 だから僕には、その言葉の意味が分かりません。

 キョトンとしている僕に向かって、彼女は、より具体的に言ったのです。
 ――塾の口座に、もうお金がありません。
 ――百万円ぐらいしかありません、と。

 ――ちょっと待って。
 ようやく理解をした僕は、慌てて言います。
 ――いや、ちょっと待って。
 ――そんなことはあり得ないでしょ。

 そう、そんなことはあり得ないのです。

 僕の塾はずっと――もう七年に渡って、大幅な黒字であり続けていたのですから。

 そう。台北で日本人子女対象の塾が利益を上げることは、途轍もなく容易なことでした。

 近年大手塾が進出してきたとはいえ、日本の学習塾業界に比べれば、圧倒的に競合他社が少ない。

 物価の低い台湾では備品が安く購入出来るし、家賃光熱費も安い。その上、現地採用の社員は低い給与で構わないため、経費も少なくて済む。

 さらに、一部の大企業においては、駐在員家庭の住居費や国際転居費のみならず、子女の習い事の費用まで負担してくれるため、どれだけ塾に請求されても平気な家庭が数多くある。

 こんな業界なのです。
 ミスばかりする、人間関係もうまく築けない、すぐにパニックに陥る、典型的なADHDである僕でも、『外国でやって行こうという気概』だけを武器に、生き延びることが出来るような世界なのです。

 僕の塾の授業料は、他塾に比べれば十分に安い設定でしたし、社員の待遇も十分に良いものではありましたが。

 七年間もの長きに渡って、最低でも、月四十万円以上は純利を上げて来たのです。
 夏期講習などの期間には、通常その五倍近い利益になります。

 近年、生徒の数を減らしているとはいえ、どれだけ少なく見積もっても、塾の口座には、三千万円以上のお金がある筈なのです。

 それなのに――イーティンは、口座には百万円程度しかないと言う。

 僕には、それを理解出来る筈もありません。

 けれども、そんな僕に対してイーティンは、塾名義の預金通帳を差し出すのです。

 にわかに、激しい緊張感を覚えながら、僕はそれを受け取り――ページをめくります。

 その最後の欄には――確かに百万円程度の残高しか表示されていません。

 僕は酷く驚きました。

 そして、混乱し――パニックを起こしそうになります。

 どういうこと?
 これはどういうことだ?

 冗談か何かか?
 いや、イーティンの表情はそういう感じではない。いや、でも。

 ――ああ、これは予備の口座で、他にメインの口座があるんだよね?

 ――いいえ、そんなものありません。
 ――口座は、これだけです。

 そんな筈はない。
 僕は今まで何度も見ているのです。
 通帳に記載されている、何千万円もの数字を。

 それが、僅か百万円?
 そんな筈はない――絶対におかしい、だって、前、何千万もあったし。

 ――それはいつの話ですか?

 ――え? いつ?
 僕は急いで記憶を探ります。
 そういえば――前回通帳を見たのは、いつのことだ?

 いつだろう?

 去年? 一昨年?
 ――いや。
 間違いなく、それよりもずっと前だ。

 もう、四年か五年か、それ以上前。


 そんな長期間、通帳を見てもいなかったのは、勿論――僕がADHDだったからです。

 そもそも、通帳の管理は僕の仕事ではありません。
 不注意で面倒がり、生徒から受け取った授業料の入った封筒を、教室に置き忘れてしまったことが何度もある、僕です。

 通帳のような大事なものを、管理する筈もない。

 それを肌身離さず持ち歩き、金庫にしまう、それはイーティンの仕事でした。

 そして、難病患者であるイーティンの出勤日は不定期。
 出社する日も、例外なく僕の出社後に来て、僕の授業中に帰宅します。
 
 僕の休憩時間に、少し顔を合わせるだけ――そういう日が殆どです。
 そしてその短い時間で、色々打ち合わせしなければならない。

 その際に、頭の中が散漫で、的確に指示を伝えることの出来ないADHDである僕の口から、『通帳を出して』などという余計な言葉が、出る筈もない。


 勿論、流石の僕でも、会社経営にはお金が必要であることは分かっています。
 それでも、幾ら口座にあるのかを僕が確認しなかったのは、他の理由もあるのです。

 それは、塾部門の全生徒の授業料、全社員の給与の計算を、僕自身が行っていた、ということ。

 谷沢という古参の信頼できる社員がいるときは、授業料計算だけ彼に任せていましたが、彼の退社後は――すぐに離職するような社員達に授業料システムを説明することが面倒で――他の社員にそれを任せることをせず。

 ミスを繰り返しながらも、何度も批判され苦情を浴びながらも、僕は自分自身で、授業料計算と給与計算を行ってきたのです。

 また、教材や模試など、日本の会社から購入する物の代金に関しては、日本の銀行宛てに支払う必要があるため、僕自身がその振り込みを行っていました。

 税金、家賃や光熱費、備品等の、台湾内での他の出費に関しては、イーティンに任せて僕は一切把握していませんでしたが。

 収入支出の中心部分を、僕自身が計算し、把握していたのです。

 こんな状態で。

 イーティンと接する時間が短い上に、給与支給日や授業料振り込み日のタイミングによって、それなりに変動のある口座残高など――一々確認しようというはしなかったのも、仕方のないことでしょう。

 なにせ僕は、面倒なことが大嫌いで、お金に関しては殆ど興味のない、ADHDなのですから。

 なにせ僕は、常識外れの、社会常識に欠けた、発達障害者なのですから。


 久しぶりに目にした通帳を前に、僕はただ呆然としています。

 ――お金がない?

 お金がないとなると。

 塾を畳んで旅に出る――なんてことが出来なくなる、ということか?
 僕はこのままずっと、この仕事を続けなければならない、ということか?

 いや、それ以前に。
 ――これまでの九年間は、何だったんだ?
 休日もなく、妻も友も失い、若さも失いながら、ただひたすら働き続けたのは――一体何の為だったのだ?


 訳が分からなくなり、僕は眩暈を覚えます。

 ――だから、早く谷沢を追い出せと言いましたよ。
 ――だから、小迫の給料を減らせと言いましたよ。
 ――だから、岩城に給料をあげすぎだと言いましたよ。
 ――だから、税金を払いすぎだと言いましたよ。

 ――それを全部聞かなかったのは、社長ですよ。

 次々発せられる、僕を責めるイーティンの言葉に。


 僕は何も言い返すことも出来ず、ただ茫然とその顔を眺めていました。

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