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会社が自分のものだと勘違いをしていたADHD社長 【ADHDは荒野を目指す】

 6-37.

 台湾人女性と結婚し、台北に日本人向け進学塾を設立した僕は、ライバル塾による数々の妨害をもはねのけ、多くの社員や生徒を抱えるに至りました。

 けれども、ADHDである僕には、会社運営などうまく出来ません。特に人事は壊滅的で、オフィス内にはギスギスした雰囲気が漂い、辞めて行く社員の多い。
 その上、台湾人の妻とも関係がうまく行かず、結局離婚。

 そんな状況でも、肥大化した会社を支えるために、僕は週休ゼロ日で働き続けなければならず――肉体的にも精神的にも、どんどん疲弊して行きます。
 しかも、旧友であった社員が自殺未遂を起こしてしまう。

 ついに僕は、人生のやり直しを決意。
 塾の閉鎖に向けて、ゆっくりと準備を始めたのですが。

 そんなある日、経理の台湾人女性・イーティンが、会社の資金・三千万円を横領していたことが発覚。

 パニックになりながらも、どうやって返金させるか、あれこれ考えていた僕のもとに、二通のメールが。

 一通は、関係者全員に、会社の閉鎖を告げるもの。
 一通は、僕の労働契約終了を伝え、台湾からの退去を促すもの。


 暫くの間、そのメールの意味を理解出来ず、ぼんやりしていた僕ですが。

 徐々に、色んなことが分かって来ます。


 ――会社は閉鎖になり、僕は解雇された。

 僕の会社から。


 いや。

 そもそもそれは、僕の会社ではなかったのです。
 僕の名前が社名に入り、一人で始め、九年もの間、一人で経営してきたその会社は――僕のものではなかったのです。

 名義上は。

 九年前、僕がその塾を創立した時。 

 台湾には、『外国人が塾を所有してはならない』という法律がありました。

 何十年にもわたって続いた、台湾を支配する中国国民党と、大陸を支配する中国共産党との対立の中で。
 台湾の国民党政府は、激しい思想弾圧を行ってきました。

 『白色テロ』と呼ばれるその弾圧のために、十万人以上が投獄され、数千人が処刑されたと言います。
 子供達が学ぶ学校においても、共産主義の書物を読むことは勿論のこと、台湾古来の台湾語や、統治時代に皆が学習した日本語の使用まで、厳しく禁止されていたのです。

 1980年代、ようやく民主化が達成、『戒厳令』も解除され、教育も自由化。
 それから、二十年ほどが経っていましたが。

 法律のそこかしこに、その時代の痕跡は残っていて。
 子供相手に勉強を指導するだけのいわゆる『学習塾』にまで、外国人による所有を禁じたままだったのです。


 だから、ライバル塾であるH舎も、実際のオーナーは陰に隠れ、台湾人事務員が名義上のオーナーになっていました。
 彼らが僕を訴えた裁判においても、名義上の原告は、全てその台湾人事務員だったのです。

 そして、僕も。

 塾を創設する際、名義上の台湾人のオーナーを立てねばなりませんでした。

 そして当時僕は台湾人女性・リーファと婚姻関係にありました。

 そしてリーファは、日系の会社の一社員であって、副業は禁じられています。
 義父は既に故人。


 と、なると。
 既に定年退職済みの義母・フォンチュを、僕の創設した会社の、名義上のオーナーに据えるというのは、当然の選択でした。


 ただ。
 その選択が、微妙なものになったことがありました。

 勿論、僕とリーファが、離婚を決めた時のことです。

 家族が、家族でなくなったのです。
 義母が、ただの他人になった。

 こうなると、僕の戸籍同様に、名義上のオーナーも変更するべきかもしれない。
 そう、思わなくはなかったのですが。

 とはいえ、僕の会社の経理・イーティンは、リーファの妹。

 つまりフォンチュは、社長の義母ではなくなったとしても、社員の母親ではあり続けているのです。

 しかも彼女は、何の仕事をしなくても、名義に対する手当として、毎月数万円を貰えている。

 フォンチュの方に、代表職を辞退する動機は一つもありません。

 実際、僕とリーファの離婚に関しても、一切何も言ってこなかったフォンチュは、名義上のオーナー職に関しても、何一つ申し出て来ませんでした。


 そして、僕にとっても、彼女を代表職から降ろす意味はありませんでした。

 そもそもフォンチュは、僕とリーファの夫婦関係にすら口を挟まない、諸局的な人です。
 当然仕事に関しても何も言ってきません。
 そもそも、自分が代表職を務めている筈のその会社に、足を運んだことすらないのです。

 そんな無味無害なオーナーは、僕にとって非常に有難い。

 それに、そもそも。
 ただ仕事ばかりしており、友人の一人もいない僕に。

 他に、オーナー業などという、本来責任がある筈の役職を引き受けてくれる――しかも月数万円程度の手当で――台湾人に、心当たりなどある筈もないのです。

 だから。

 フォンチュを、名義上の代表職に据え置く。

 離婚をした後であっても、その選択肢以外には、何も考えなかったのです。


 ――ところが。

 イーティンの送って来た二通のメールを前に、僕はようやく。

 その選択が最悪の物であったことに、気付くのです。


 そう、フォンチュは、ただの名義上のオーナーではあっても。

 ――法律上は、オーナーであるのは確かなのです。

 ですから。

 彼女が、会社を閉鎖し。
 社員全員を解雇することを、決意してしまうと。


 僕には、それを止めることが出来ないのです。
 名義上――つまり、法律上、ただの一社員に過ぎない、僕には。


 いや、そもそも。

 会社の口座に入っていた筈の、三千万円以上の収益。

 それにしても――オーナーであるフォンチュが、自分の物だと主張してしまうと。


 名義上は一社員に過ぎない僕には、それを否定することも出来ない。


 そう。


 僕が全てのお金を出し、僕が全ての決断をし、僕が殆どの仕事をして。
 様々な妨害をはねのけ、妻や友人、社員達まで犠牲にして。

 九年もの間。
 積み上げて来た資金と、守り続けて来た会社は。


 ――全て、僕の物ではなかったのです。

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