ADHDは外国暮らしをするべきか? その③ 【ADHDは高学歴を目指せ】
24.
ADHDにとって、外国で暮らすことは、『退屈』をしなくて済むという点で、適したことであるのは確かですが。
実際問題、外国で暮らすということは、ADHDでなくとも、ビザ等の問題で、とてもハードルの高いことで。
さらに、仕事を見つけるのがかなり難しいし。
うまく採用されたところで、待遇はひどく、身分も不安定。
そんな厳しい世界でADHDがやって行くのは、日本社会でそうするよりも、はるかに難しい。
しかも。
僕のように、運よくそこで生き残ることが出来たとしても。
そこにはもっと大きな問題がある。
外国は、確かに退屈することが少ない――刺激が多い。
その点は、ADHDにとって非常に有難いことなのですが。
裏返せば。
外国では、刺激が――トラブルが多すぎる、ということ。
僕の十数年間の台湾生活においては。
仕事場においても。
客からクレームが来る、人事管理がうまく行かない、そんなありがちなトラブルだけでなく。
何千万の損害賠償請求訴訟を起こされたり、窃盗で警察に訴えられたり、銀行口座を凍結されたり、生徒が誘拐されそうになったり、生徒の保護者が変質者に刺されたり、部下に全財産と会社を奪われたり、住居すら奪われたり、脱税の罪をかぶせられたり、不法就労で役人に追われたり、コロナ禍で営業停止命令を出しながら一切補償がなかったし、裁判では味方の筈の弁護士に裏切られるし――中々日本では遭遇しないようなことばかり。
さらに、日常生活においても。
妻が家事を一切しない、挙句の果てに浮気をして出て行く――程度のことなら、まだ日本でもありがちではあるでしょうが。
トイレが詰まる。エアコンが壊れる。テレビが壊れる。インターネットにつながらなくなる。停電する。断水する。水道管が壊れて床が水浸しになる。台風で窓ガラスが割れて床が水浸しになる。隣家が真夜中でもカラオケをしている。その隣家からなぜか煩いと苦情が来る。部屋のすぐ前に犬の糞が落ちている。自転車を盗まれる。乗っているバスが頻繁に事故を起こす。隣のマンションで火事が起こる。転出しても大家が保証金を返金しない。町行く人から罵声を浴びせかけられる。赤信号でも平気で車やバイクが突っ込んでくる。屋台の食事で頻繁に腹をこわす。
日本ではめったにないようなそんなトラブルが、無数に発生しているのです。
普通に暮らすだけでも。
ただ道を歩くだけでも。
気を抜くことが出来ないのです。
刺激が欲しい癖に、過剰な刺激にはすぐにダメージを受けるADHD。
色々なものが整っている日本ですら、疲弊しきっていた僕が。
こんな状況下で、平気でいられる筈もありません。
それでも、まだ体力気力のある若い内は、ある程度楽しめました。
まるでロールプレイングゲームをやっている時のように。
一つ一つのトラブルを解決する度に、自分が成長した――レベルアップしたように感じ。
充実感がなくはなかったのですが。
おそらく、僕のレベルも、上限に――普通の人よりかなり低い上限に――達してしまったのでしょう。
やがて、成長を感じられるようなこともなくなり。
加齢とともに、全てのトラブルが、ただの不快な刺激と変わって行く。
ただでさえ、仕事で悩まされている上に。
日常ですら、気の休まる暇がない。
精神的にどんどん疲弊して行きました。
その結果。
仕事以外の時間は、何も出来ない――何もしたくない、そんな気分になってしまう。
仕事を終えて帰宅すると。
弁当を食べながら、一切頭を使わないで済む単純なゲームを延々続け。
眠くなったら寝て、起きたら仕事に行く。
友人の一人も、趣味の一つも持たず。
服もカバンも買わず、散髪も滅多にせず。
そんな、一切潤いのない毎日になってしまったのです。
食事を注文する時以外には、日本語しか使わない日は殆ど。
日本で過ごしているのと――日本で鬱々たる日を過ごしている時と、何も変わらない。
かなり日本に近い所のある――下手すれば、世界で最も日本に近い国、台湾ですら、これだけうんざりすることだらけなのですから。
もっと違う国であれば、もっと苦しむことになるのは当然で。
ある程度の年齢になってから、仕事の合間を見て。
ウィークリーマンションのようなものを借りて中国に滞在していた時も、結局やっていたことは同じ。
インド、ネパール、モンゴルなどに長期滞在していた時も、宿の中から余り出なかった。
やはり、外国とはそういう場所で。
刺激が欲しい癖に刺激に弱い、そんなひねくれもののADHDにとって、ある程度の年齢になってからの外国暮らしというのは、やはり相当に難しいものだったのです。
と。
外国暮らしは、ADHDに向いている点は確かにあるものの。
基本的には、マイナス点が多すぎて、お勧めは出来ない。
それが結論なのですが。
ただ一つ。
日本に帰って来て数年が経ち。
やはり、外国暮らしをしておいてよかったな、と痛感することは増えてきました。
と、言うのも。
目にする、日本のマスコミやインターネット上の言葉には。
とにかく『日本は酷い』という論調が目立つ。
諸外国に比べて、経済が悪い、人権意識が低い、教育制度が良くない、政治家のレベルが低い、司法が忖度ばかり、等々。
そういう言説を見るたびに。
――バカバカしい。
そう、心から思います。
勿論、日本社会に問題は多いとは思う。
特にADHDである僕にとっては、生きづらいと思うことは多い。
だから、日本を逃げ出したのです。
でも。
二十年以上もの間、国外に居た結果。
結局、日本を越える国はない――という結論を、出さざるを得ない。
先述したように、マスコミの言う、『外国』というのは、あくまでも欧米の富裕層だけをさしていることが多い。
それぞれの国の、『上澄み』だけをすくいとって、それを『外国』の姿だと主張している。
でも。
その『外国』で、泥にまみれるような日々を過ごしてみれば。
そこがどんな厳しい世界であるか。
――僕のような、無能で、貧乏で、人脈もない人間に対して、どれだけ残酷で卑劣な世界であるかが、はっきりと分かります。
日本がどれだけマシな――いや、マシというのが勿体ないぐらい、良い国であるのかが分かります。
この国に合わない特質――ADHDという特質を持って生まれたのが、ただ不運であるだけということ。
そしてそんな不運があっても生きることを許してくれるぐらい、寛容な国に生まれたのは、幸運であるということ。
外国暮らしを長くしたお陰で、そういうことが、身に染みて理解出来て。
今、日本で質素な暮らしをしていながらも。
若い頃のように、日本を馬鹿にしたり、恨んだりすることは決してせず。
むしろ、この国を好きだと感じられるようになった。
そうなった分。
やはり、外国暮らしというのは、ADHDにとって十分に利点のある、一度は是非やってみるべきことなのかもしれません。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?