人生を変えようと決意するADHD社長 【ADHDは荒野を目指す】
6-30.
台湾人女性と結婚し、台北に日本人向け進学塾を設立した僕は、ライバル塾による数々の妨害をもはねのけ、多くの社員や生徒を抱えるに至りました。
けれども、ADHDである僕には、会社運営などうまく出来ません。特に人事は壊滅的で、オフィス内にはギスギスした雰囲気が漂い、辞めて行く社員の多い。
その上、台湾人の妻とも関係がうまく行かず、結局離婚。
そんな状況でも、肥大化した会社を支えるために、僕は週休ゼロ日で働き続けなければならず――肉体的にも精神的にも、どんどん疲弊して行きます。
それでも、頼れる旧友・岩城が入社して、リーダーシップを発揮。これで僕も一息をつける――と思っていましたが。
入社僅か三か月、その岩城が、社内のトイレで自殺未遂を起こし、そのまま退職する流れに。
しかし、その手続きが中々進みません。
岩城の奥さんが、一つ一つの書類を、丹念に丹念に読んで行くのです。
仕事の時間が迫って来る。
耐えかねて、僕は出来るだけ丁寧に、時間がないので少し急いでいただけますか、と言います。
けれども、岩城の奥さんはそれを拒絶します。
そして、僕の方を向いて言います。
――私達は、べいしゃんさんのように賢くも強くもありません。
――弁護士の人脈だとか、弁護士を雇うお金とかもありません。
――だから、自分の身は、自分で守らなければならないのです。
僕は、賢くも強くもない。
僕はただがむしゃらに働いて来ただけだ。
親のお陰で得た学歴だけを武器に、何とかやって来ただけだ。
でも、僕はそう口には出来ません。
苛々しながらも――ただ事態が進むのを待ち続けます。
それでも、ようやく手続きも終わりに近づきました。
最後に、イーティンが封筒を差し出します。
――五十万円入っています。退職金です。
イーティンが言います。
退職金なんて制度、僕の会社にはありません。
当たり前です。
台湾の法律にそんな規定はありませんし、そもそも一、二年も働かずに辞めて行く社員ばかりだからです。
それでも、個人的に心づけをつけておくことはありましたが。
岩城に関しては、勤続僅か三か月。
退職金を支払う必要などないのですが。
それでも、この五十万円の支払いに関しては、僕が言い出し、イーティンも即座に同意したものです。
お金の管理が出来ない僕はともかく、脱税をしてでも出費を減らそうようとするイーティンがこの出費を了承したというのも――やはり、怖かったからでしょう。
笑顔の奥さんが。
そして岩城夫婦は、そのお金をすんなり受け取り、全ての書類に――「今後一切当社とは関係がない」という文面を含む書類にも――サインをし終えました。
そうして。
無表情な岩城と笑顔の奥さんは、当たり前の挨拶をして去って行きます。
僕もただその後姿を見送るだけ、やはり特別な言葉は何も言えません。
――やっと、サイアクが去りましたね。
イーティンが満面の笑みで言い、僕はやはり何も答えませんでした。
ただ、今の感じなら、もう訴えられることはないだろう、と思い、少し胸を撫でおろしました。
それで、岩城に関してはすべてが終了――ではありません。
岩城の携帯電話やカバンなどは既に返却済みですが、まだまだ私物がデスクに残されているのです。
岩城は会社に来られる精神状態ではない為、奥さんが岩城を家に送り届けた後、塾にそれを回収しに来るのです。
僕は社長室内に入り、耳を澄ませます。
やがて、先ほどまで近くで聞いていた笑い声が、壁の向こうから聞こえてきました。
岩城の奥さんがやって来たのです。
顔見知りである他社員達と、大きな声で何かを話し合っている。
――本当、お世話になりましたぁ。
――ええ、岩城は元気ですよぉ。
そんな笑い交じりの声が聞こえて来る。
もし、あの勢いで、僕の部屋に挨拶に来られたら。
僕はどういう表情で、どういう返事をすればよいのだろう?
まるで分からない。
僕は激しく緊張します。
けれども、幸いなことに、彼女が僕の所にやって来ることはなく。
――ああ、タクシー来ました、では皆さんお元気で。
そんな明るい言葉を残して、彼女が去って行く音が聞こえてきました。
助かった。
僕はそんなことを思う自分を情けなく感じながら、ホッと胸を撫でおろしました。
――そして、少し後。
昔の旅仲間が、台湾に遊びに来ることがありました。
その時に僕は、利害関係のないこの友人に、岩城の話をぶちまけます。
そして、僕は言いました。
――それにしても、変な奥さんだった。
夫が自殺未遂をしても笑顔、入院しても笑顔。
夫が退職する時も笑顔、私物回収の時も笑顔。
――苦しんでいる夫への同情心もない、無神経な人だった。
――しかも、約束をすっぽかしたり、勝手に録音しようとしたり、行動も無神経。
――岩城も、あんな人と結婚したから、ああなっちゃったのじゃないか。
僕は気軽な調子でそう言ったのですが。
それは違うんじゃないか、と友人は言いました。
――引っ越したばかりの国で、いきなり夫が自殺未遂をした。
――それで不安じゃない奥さんなんて、いる筈もないだろ。
――でも、夫が病んでいる時に、奥さんまで暗い顔をしていたら、家庭はより暗くなってしまう。
――だからその奥さんは、無理してでも笑顔でいたんじゃないか。
僕は首を左右に振ります。
――そんなことはない、あの人の笑顔はそういう健気なものじゃなくて、もっと、こう奇妙な。
そう言いかけるのですが、うまく言葉が出て来ません。
――だって、その夫婦には幼い子供もいるんだろ?
――だったら、母親はどんな演技でもやるだろ。
――どんな自分勝手な行動もするだろ。
――そうやって、家族を守ろうとするだろ。
友人はその主張を譲りませんでした。
その時の僕は、その友人の言葉を受け入れられなかったのですが。
それでも、徐々に考えも変質して行きます。
もしかしたら、友人の言う通りなのかもしれない。
あの奥さんは、自分の家族を守るために、ただ必死だったのかもしれない、と。
勿論、正解は僕には分かりません。
僕には、守るべき家族も、守ってくれる家族もいません。
ああいう状況で、家族とはどう振舞う物なのか、まるで分からないのです。
ただ、それでも――この岩城の件のお陰で、はっきり分かったことがありました。
台湾における、僕のこれまでの日々は、完全に間違ったものである、ということ。
妻と共に台湾で生きて行く為、日本人向けの塾に就職をし。
僕を潰そうとしたH舎に復讐をする為に、独立をした。
そこまでは良かった。
僕は元気よく働き、良い仕事が出来た。
でも、問題その後――妻が去り、H舎がなくなったのに。
僕は、それまで以上に、ひたすた働き続けた。
自分の器以上の会社を抱えてしまい、何のためかも分からぬまま、がむしゃらに動き続けた。
まるで向かない管理仕事に振り回され――それでも、何一つコツを掴むことも出来ず。
その仕事を代わってくれる人に出会うことも出来ず。
ただただ、疲弊し続けただけ。
そんな日々が、良いものである筈もなく。
僕は、多少のお金は得たものの。
中国語も下手なまま。
家族はおろか、友人の一人も作れないまま。
気づけば、四十歳になろうとしているのに、一人の友人すら守れない、そしてその妻の思いにも気付けない――そんな人間のまま。
こんな日々の末に、何があると言うのだろう?
何もない。
ある筈がない。
もう、こんな生活は駄目だ。
僕はそうはっきり思いました。
そして僕は決意をします。
あと数年で、塾を閉鎖すること。
――そして、再び、長い旅に出ることを。
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