パパの努力は無情にも破壊される
川の辺りで石を運んでは積む。
もう少しで終わる。
すると鬼がやってきて、怒りながら積んでいた石を崩す。
またはじめからやり直し。
作っては壊され、終わることはない。
親よりも先に亡くなった幼い子どもがその罪を償うために石を積む。
そんな無情な「賽の河原」の世界観を一度は聞いたことがあると思う。
でもそれは何も死後の世界だけではなかった。
LaQ(らきゅー)を作るパパも同じ心境だった。
もうすぐ5歳となる長男がLaQという玩具に夢中である。
LaQとは平面の四角形や三角形を数種類のジョイントパーツを使って、様々な形に作っていくレゴのような玩具だ。
はじめは頂きもので、ピースの数は400個で入門編のようなやつだった。
少しずつ作り方を覚え、黙々とLaQに取り組む姿をみた僕たち両親は、追加で買うことにした。
その数1,200ピースの大きいやつ。
家には合計で1,600ピースあることになる。
これだけピースがあれば複雑で大きなモノも作れるようになる。
そしてその説明書もご丁寧に同封されている。
まだ大物を作るのが難しい長男。
「パパが作って」というのは自然な流れだった。
もちろん、こちらもそれは想定していた。
威厳を見せる為にも快く引き受け、ササッと作ってしまおうと思っていた。
しかし、これが難しい。
巨大なロボ。
図の通りに組み立てるのは、なんとかなる。
そんなに難しい作業ではない。
問題は、1,600ものピースの海から、たったひとつのピースを探し当てることだ。
長男は説明書と同じ色のピースで作れとおっしゃる。
作成時間の8割はピースを探す時間になる。
辛い。
やめたい。
その間、長男は別のことをして遊んでいる。
パパの頑張りは見られていない。
せめて見て応援してほしいもんだ。
朝から2時間程やっているがゴールはまだ遠い。
もう昼食の時間だ。
いったん休憩。
束の間の解放。
家族でランチ。
そして午後、長男が言う。
「これ壊して別のやつ作る」
え?
まだ完成してないよ?
朝の2時間はどうなるの?
パパの努力は?
「えー、作ってしまおうよ」と僕が言う。
しかし、無情にも鬼(長男)によって崩されてしまう。
ここは賽の河原かな?
僕は率直にそう感じた。
これは世の中の縮図。
作っては壊される。
これは全てのことに共通している。
永遠などない。
あぁ無情。
これからLaQやレゴを買おうかな思っているパパママ、ジジババはよく考えてから買ったほうがいい。
子どもが鬼に見えてしまうことを覚悟して。
ただ知育玩具としては優秀なLaQ。
平面が立体になる過程や、完成した時の達成感は面白い。
おもちゃ屋さんでは見かけず、書店で売っていることが多い。
パーツ毎に収納できるケースを準備して、パーツを探す手間を簡略化する方法を真剣に考えなければ。
色んなところで時短を試みているのに、LaQのパーツ探しに時間を割いている場合ではない。
この先も僕は、石(LaQ)を積んで(作って)は壊されるという賽の河原現象と向き合っていくことになる。
これも子育ての一環。
でも、そのうち自分で作れるようになってパパはお払い箱。
あぁ無情。
パパという存在が無情なのかもしれない。
それでもパパは威厳を見せるために文句を言わずに石を積むとしよう。
徳を積むと思えば辛くはない。
たぶん。
LaQ(探し)マスターに僕はなる!
ではまた。
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