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くだらない大人になりました

大人というのは嫌な生き物だ。


純粋にものを楽しむ事ができない。

最近、4歳の息子が戦隊ヒーローにハマっている。

新しく、爆上戦隊(ばくあげせんたい)ブンブンジャーというのが始まった。

クルマがメインテーマ?になっている。

しょーもない大人になった僕の第一印象は「ダサい」だった。


こりゃ人気でないだろと思った。

だって顔にタイヤが。

そして身体はシンプルでオーソドックスな全身スーツ。

良く言えば「原点回帰」悪く言えば「古臭い」。

しかも、その昔「カーレンジャー」というクルマをテーマにしたやつはもう放送されている。

ネタ切れかな?


しかし、いざ放送がはじまると、息子は釘付け

おそろしい集中力を発揮してみている。

なんども変身している。
でも言葉をきちんと聞き取れてなくて見当違いなことを叫びなから変身している。

微笑ましい。


ダサい」なんて微塵も思っていない。

そういう概念がない。


これが純真というやつか。

ま、まぶしい。


僕にもあったであろうこの時期。

いつのまにこんなにくだらない大人になってしまったのか。


子どもの僕がみたらどう思うかな。

ダンディなおじさまになる予定だったのに。

何事も深読みせず、純粋に楽しむ。

これって以外と大切かも。


読書も知識を吸収するため、と息巻いて読む。

楽しんで読んでない。


効率を求めて情報として読んでいる。

こんな大人はダサい。


ブンブンジャーのこと「ダサい」といっている場合ではない。

楽しむ姿勢を取り戻さなくては。

しかし、一体どうすれば。


こうやって解決策を探している時点でもうダメ

楽しむ心構えがなってない。

子どもは何を楽しんでいるんだろう。


この先はどうなるのかな、とハラハラしているのか。

でも大人の僕は「たぶんこうなる」と予測がたってしまう。

そしてその通りになると「ほらね」とほくそ笑む。

なんだか嫌な大人だけど、これが大人の楽しみ方。


子どもは子どもの楽しみ方があり、大人には大人の楽しみ方がある。

それでいいじゃないか。


読書も知識を得ることが楽しいならそれは正解。

子どもは逆に楽しみかたを知らない。

大人は楽しみ方を色々と知っている。


純真だけが正義ではない。

純真では子どもは守れない。

邪悪なパパの方がいいのだ。


そしてブンブンジャーを大人の視点で楽しむ。

「このおもちゃを売れるだろうな」

「こいつが新しい仲間だな」

「声優が豪華だな」

「名前が適当でおもしろい」

「ロボが人形になる意味!」

「その科学力があれば自分で戦わなくてもいいやん」

「CG丸出しやん」


僕は

くだらない大人になりました。


すまんな息子よ。

パパは一緒に見ながらこんなしょーもないことを考えている。

そんな心を見透かされなよう一緒に変身だ。

「ブンブンチェンジ!」


ではまた。


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