島根と小泉八雲、そしてヒゲダン

君の運命の人は僕じゃない
辛いけど否めない
でも離れがたいのさ

確かなことがあるとするのならば
君は綺麗だ
(official髯男dism🎵Pretender)

皆さんは、ヒゲダンの曲は、
何が好きですか?
🎵Pretenderは、失恋と片思いの気持ちが切なくて、何回聴いても泣けます。私は、他に🎵宿命、ILOVE…、Subtitleなどが好きです。

今日は、ヒゲダンが誕生した島根の旅の思い出と、小泉八雲の曾孫(ひ孫)の、小泉凡先生にお会いした話です。

私は、島根に2回、旅で訪れました。
最初は、学生時代の友人と3人で、松江駅前の民宿に泊まり、
バスと徒歩で見て回りました。

松江城、出雲大社、宍道湖、
小泉八雲記念館、出雲日御碕灯台
(43mで、日本一の高さの灯台)、
八重垣神社などを観光しました。
3月のお彼岸の頃で、まだ少し肌寒かった記憶があります。
出雲大社は、想像以上に大きい社殿で感激❗しました。
松江城は、黒い、美しいお城でした。日御碕灯台は、展望台まで上がると、日本海が遠くまで見晴らしが良くて、海風を体いっぱい感じたなあと。
最終日に、小泉八雲記念館へ行って、八雲の直筆原稿などを見て、
几帳面な、小さい字に八雲の人柄が偲ばれました。

名物のわんこそばを食べて、
民宿では、温かいもてなしを受けて、特産品の、7色(7つの石)の、
メノウのブレスレットをお土産に買いました。実は、この旅が友人と行く、初めての旅だったので、
とても感慨深いです。

2回目は、職場の慰安旅行で、玉造温泉に泊まって、少し豪華な夕食と温泉に入りました。
浴衣姿で、ゆっくりできて、
朝風呂も入れて良かったです。
この時は、足立美術館なども、
行って、日本一と言われる、
美術館の庭園も見学しました。

社会人になってから、私は、
博物館学芸員の資格取得のために、ある大学に通学しました。その授業の1つに、「民俗学」の講義があり、その講師が、小泉八雲の曾孫(ひ孫)である、小泉凡先生でした。
私は、昔から、八雲の作品が好きだったので、授業がとても楽しみでした。
小泉凡先生は、島根県立短期大学の教授で、小泉八雲記念館の顧問もされています。授業の内容は、
「お伊勢参り」などの、日本の民俗についてなどで、スライドを使って、分かりやすくお話して下さいました。

数回の、最後の授業で、小泉先生は、八雲の故郷である、アイルランドの(田舎の)山の風景と、
島根の(山)風景を交互にスライドで、見せられて、
「このアイルランド(八雲の故郷)の、この風景と、島根の山の風景が、とても似ていると思いませんか?。」
「僕は、だから、八雲(ひいお祖父様)も島根に惹かれたのだと思います。」と、最後に言われたのが、とても印象に残りました。

アイルランドから、放浪の末に日本に来て、日本の女性(セツさん)と結婚して、4人の子供に恵まれて、最後は、東京大学から、早稲田大学の英文学の講師として、
日本で生涯を終えた、小泉八雲。

私は、自宅にある、児童文学全集で子供の頃から、八雲の作品に親しんできました。日本を愛し、日本人を愛した八雲。
本名は、ラフカディオ・ハーンですが、帰化して、八雲の名前は、出雲国の枕詞の、「八雲立つ」から、頂いたとのこと。

小泉凡先生は、小柄で眼鏡をかけた、朗かな方でした。
私は、最後に勇気を出して、
「小泉先生、私は、昔から、小泉八雲のファンなんです。もし、よれしければ、握手をお願いできませんか?」とお頼みしました。
小泉先生は、「良いですよ。」とすこし驚きながらも、握手して
頂きました。

八雲は、怪談話が多いですが、
日本についてのエッセイなどもあります。それを読むと、日本の風俗(文化)への興味や、普通の人々への、温かい目線を感じます。

八雲は、日本へ来て、わずかに
12年くらいで亡くなりました。
でも、日本で幸せな日々を過ごしたのだと、私は、思います。

最後にヒゲダンの、最愛のラブソングを。(詩)

君の胸を震わすもの
探しつづけたい
愛してるよりも愛が届くまで

もうすこしだけ待ってて
(official髯男dism🎵Subtitle)

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