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■医療トラブルを完全にゼロにはできない背景


今回は自分をとことん追い詰めた友人のどん底のお話です。

私は小児科医、彼は産婦人科医です。私の父は産婦人科医でした。私は1型糖尿病があり、身体的にも、そして能力的にも産婦人科医として父の跡を継ぐことは無理だと考えていますので、内科医としても外科医としても活躍しているような産婦人科医には特別な感情があります。

私の母校は金沢医科大学なので、石川県にある病院や医師についてもよく耳に入ってきます。そんな中、最近、石川県のある産婦人科トラブルがあったと聞きました。それを聞いて、一瞬の気の緩みさえ許されない周産期には、どうしてもトラブルはつきものだと改めて思いました。

例えばみなさんも2004年の、福島県立大野病院の件などいくつか頭に浮かぶかもしれません。結果論から「見通しが甘かったのではないか?」と言われたら、何も言い返せない可能性が出る場合があります。

これはまさにそんなお話です。

■小児科医と産婦人科医の関係性とは
私と彼は顔見知り、と言ってもプライベートではまったく関わりはありませんでした。産科のある総合病院では、産婦人科医と小児科医は、密に連携をとっていなければなりません。そうでないと、小児科医は「先ほど生まれた赤ちゃんが泣きません。すぐ新生児室に来てください」や「胎児心拍が落ちてきたので、これから緊急帝王切開です。すぐに産科手術室に来てください」というような情報もなく、呼ばれて慌てふためくことになるからです。

だから私は産科ナースステーションに顔を出しては、妊婦の情報が書かれたホワイトボードに目をやりつつ、助産師や産科医から情報をいただいていました。土日祝日、1人勤務で小児科外来をやりながら、産科対応するのはときに綱渡りとなりえます。もちろん、これがどん底なわけではありません。

ある日曜日21時の産科ナースステーション。私は深夜に呼ばれないように新生児室の様子をチェック。産婦人科医の彼は回診を終えて、助産師に「○○さん、血圧高くなっていたから、指示確認ね」と言い終わったかどうかのところで、「どすーん」。妊婦の○○さんが病室で倒れた音でした。結局のところ、子癇発作と常位胎盤早期剥離を併発し、彼は上司をすぐに呼び対応しましたが、小児科医の私は呼ばれることなく、母子共に不幸な結末を迎えてしまいました。

■自信を無くした彼に辞めてほしくない気持ち
それから2週間後、まんがコウノドリ28巻で、鴻鳥サクラ先生が医療訴訟の当該医師となり裁判所による証拠保全手続きが行われたように、病院に突如弁護士が訪れ、カルテ開示を迫ってきました。妊婦の血圧が上がっていたにも関わらず、即座に対応しなかった、というふうに見られていたからです。確かに回診中に妊婦の血圧上昇に気づいていれば、別の結果があったかもしれません。

彼は院長や上司に話を聞かれ、すっかり自信をなくしたようでした。後からわかったことですが、彼は1年前にも産科トラブルがあり、医師賠償保険から1億円の支払いを求められ、示談していた案件があったそうです。いわゆるリピーター医師と、周りから認識されたくなかったそうです。それは誰でもそうでしょう。ですが、実際に起きてしまったことなので、彼はどうすればいいのかを本気で悩んでいました。

「ねぇ先生、さっき生まれたベビー、保育器に入れて様子みるだけでいいかな?」
「え? 何でそんなこと……」
彼はすっかり自信をなくしてしまい、何でも確認するようになり、日に日にやつれて痛々しくさえ見えました。彼のような優秀な医師、産婦人科医が辞めてしまうかも知れない恐怖。産婦人科医に最大のリスペクトを払う私は、だからこそ彼には辞めないで欲しかったのかも知れません。

だから私は、彼の上司に「彼を引き留めないと彼は辞めてしまうかもしれない」と他科のことでしたが口を出してしまいました。しかし、彼の上司の返事は、「辞めたいなら辞めればいい。辞めたい医師を引き留めてもいいことはない」と言われてしまいました。

■彼の上司の本心とは
私は後からこの真意は経験から知るのですが、その時は何て冷たいのだと思いました。 だから私は、彼を引き留めないといけないと思いましたが、何も言えませんでした。いえむしろ、彼の姿が見えると隠れていました。どんな言葉をかけるのがいいのかがわからなかったのだと思います。

本心かは分かりませんが、彼はむしろそれがよかったと今は言っています。結局のところ、彼は産科を辞めて婦人科医として働いてましたが、1年後に戻ってきました。医療訴訟は裁判までは進まずに彼の正当性が認められたというのもあったからかもしれません。ただ私は、あの妊婦が急変したとき彼のそばにいたのだから、もっと何か彼にできたんじゃないか?と思っていました。

彼は総合病院を辞めて、人に言えない孤独。
まさにどん底にいたそうです。

ただ産科から離れて自分を見つめ直し、自分で蓋をしたかった以前示談となった案件も今回の案件も自分のミスを受け入れ、どうすべきだったかを、それこそ毎日毎日のように振り返ったそうです。まさにボロボロだった。もう絶対にミスをしないぞ。そして、自分の夢である産婦人科医として再び立ち上がるぞ!と心から誓ったそうです。

■医師人生は平坦な道だけでは成長できない
結局、どん底から這い上がるのは自分次第だよ。どん底を知っているのが、俺の医師人生の強みだよと彼は言います。

今の若者は怒られたこともなければ、挫折も知らずに生きてきている。挫折なんてしない方がいい。挫折からは少しでも早く立ち直らせた方がいい。だからゆとり世代と言われるのですが、私なんかむしろ挫折ばかりの医師人生で、それがむしろ私と言う医師の強みだとも思うのです。

それから私と彼は何となくプライベートでも話し合うようになりました。お互いに仲間がいればいろんなことは踏ん張れるのです。挫折と孤独からの医師人生のどん底から、自分の力で這い上がってきた彼の医師人生。おそらく彼の上司も彼にこれを期待していたのでしょう。今の私は、そう思います。

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