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イタリアサッカー黄金期と旧ジャニーズのどす黒かった美について🇮🇹

イタリアサッカーは旧ジャニーズに似ている。もっと陳腐な表現をするならばマフィアに似ている。これは、イタリア=マフィアだからではない。

最近でこそグローバル化したものの、イタリアのサッカー、特にセリエAは極端の極みだった。

絶対的な勝利主義とホームとアウェーの落差、汚らしいほどの審判に隠れたラフプレーと挑発は繊細かつ凶暴なジダンをピッチから追い出した。

選手の能力も特化していた。ゾフ、ブッフォン、ドンナルンマと、毎時代現れる偉大なGK。

マルディーニ、カンナバーロ、ネスタのように猟奇的なほど鉄壁なDF陣。

ガットゥーゾ、トンマージのようにハードワークに憑りつかれたMF。そして、ヴィアリ、ビエリといった破壊的な得点力を持つストライカー。その両者の間には、独力で組織を破壊する過剰に華美なファンタジスタたちがいた。

古くはジャンニリベラから、バッジョ、ゾラ、マンチーニ、トッティ、デル・ピエロまで奇矯なスターがいた。中盤の底に降りたピルロまで含めると、まるで耽美的作家の過度な比喩のように豪華絢爛だ。

極端な運動量で圧倒する中盤と、個の力で矛と盾になるFWとDFを思い出すと、きらびやかなステージで歌うアイドルと鉄の掟で自社のタレントを管理した旧ジャニーズが浮かんでくるのだ。

セリエAはドーピング、ジャニーズは女性ホルモン注射が横行した。前者の八百長と後者のチャート操作、何があっても勝つことと出したCDが一位になることが絶対の両者はよく似ている。

その極端さを愛したファンも多いのではないかと思う。裏側で行われている汚なすぎる悪事には気づかないふりをして。

最終的には、イタリアサッカーも旧ジャニーズも非難され、解体された歴史を持つ。両者は共に排他的で、保守的で、これ見よがしに煌びやかだ。

しかし、マルディーニがあのマラドーナすら刃物のようにスライディングタックルで刈り取る姿をYouTubeで観ると、極端さの中でしか生まれない強烈な美というものがあることを痛感させられずにはいない。

そしてそれがもう時代遅れとなったことも。

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