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休職2ヶ月記録

休職してから丸々2ヶ月が経ちました。
仕事に行っていた頃は動かない身体と半分寝たままの脳みそでなんとか過酷な8時間労働を終えて、22時すぎにサイゼかなか卯かすき家でたらふく過食して寝るか、もしくは何も食べる気が起きずに帰宅したままの状態でベッドに横になっていました。
もちろん、化粧も服もそのままで。歯磨きもお風呂もほったらかしです。潔癖ぎみのわたしにとってはすごく嫌なことなのですが、心底嫌でもエネルギーがないと動けないんだなぁと他人事のように感じていました。
寒い時期なのをいいことに、お風呂に入れないまま家を出なければいけない時間になっていてそのまま出勤したことも数日ありました。
休職する前の1カ月は仕事に行かないといけないと思うと泣いてしまいました。胃の調子が悪く毎日のように吐いていました。あまり重いものを食べることはできなかったので社員食堂では決まって梅干しとねぎの乗ったうどんを頼んでなんとか食べ切っていました。

仕事の悪夢を見ることも、職場の意地悪なお局やマウント取りの先輩の嫌な言動を思い出すこともほとんどなくなりました。

まだ抗うつ薬の副作用や不安定な体調に苦戦しながらではありますが、最近になって気持ちが楽になってきたのをやっと感じてきたので、あのとき休むことを決めてよかったです。
私に仕事を休むことを後押ししてくれたのは遠方に住む友達でした。電話先で仕事に行かないといけないと思うとつらい、と話していたら泣いてきてしまいました。泣いている私にその子が
「今までずっとonemuの職場の話聞いてたけどほんとにひどい環境だと思うし、私もonemuの嫌いな同僚とこれからずっと働くのは無理だし気分悪くなると思う。このクリニックなら私も適応障害なったときにすぐに診断書出してくれたからとりあえず明日行って仕事休んでほしい。吐きながら仕事してるなんて心配」
と言ってくれたのです。それにほんとうに救われました。彼女の教えてくれたクリニックですぐに診断書をもらいました。職場に電話して休むことを伝えるときも、彼女に励ましてもらってようやく済ませることができました。

私はほんとうにいい友達に恵まれているなぁと思います。その子の地獄も知っているし私の地獄も知ってくれている。そんな友人が1人でもいるならまだ頑張って生きられる気がするんです。毒親、転校、ど田舎育ち、ADHD、酷すぎる生理痛、物心ついた頃から続く慢性的な体調不良、産まれてからこれまでがハードモードすぎて、なぜ自分ばかりこんな目に遭うのかと人生を恨んだこともありました。
私には優しい親もいません。心安らぐ地元も生まれ育った家もありません。お金の余裕もありませんし頼れる恋人もいません。でも、人生の大ピンチに背中を預けられる友人なら、何人も思い浮かぶのです。ほんとうに幸せなことだなぁ。

学生の頃人生を諦めていつ死んだっていいやと思っていた私は、30まで頑張ったら死のうと思っていました。でも、今のところやりたいことが終わりそうにないので、もう少し先延ばしにしたいなと感じています。
自分で選んだ人間関係でほんとうの信頼ができれば、親がクソでも大丈夫。血が繋がってるかどうかなんて関係ありません。真っ当な人間であろうとすれば、大丈夫ですからね。

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