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診察室でどこまで話せばいいのかわからない問題あるよね

みなさまご無沙汰しております。onemuです。
コンサータ飲むようになってからnoteの記事をほぼ書かなくなったのが分かりやすすぎて自分でも笑ってます。思考の多動が治って目の前のことに集中できている証拠でもありますが、わたしのドーパミン不足の酷さの証明でもあります。
ろくに更新していないのに失望せずにまだフォローしてくださってる方、感謝感激雨あられです。


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さて、近況報告を。最近のわたしですがコンサータが増えたことと、夏も近くなり日照量が増えたことで元気になりつつあります。

とは言っても、まだ気分は落ち込んでいて無気力でやる気が湧かず1日の大半寝ている日も多いです。のんびりとうつと闘っていこうと思います。

週に1度の通院が続いているのですが、なにせメンタルクリニックというのは春に混む(進学や就職などの環境の変化が大きいから)ので、最近先生が大忙し。前回の診察は4時間待ちでした。元気になってきたわたしでもかなり疲れた。

そんな混み合っているなかで、長々と自分の悩みを話す気分にもなれず最低限だけ相談して帰ってくる、という日々です。が、「これではよくない、治療につながらないし正しい診断も出ない」と友人(躁鬱Ⅱ型/寛解)に諭されたのをきっかけに考えてみることにしました。


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【わたしが診察室で悩みを言えない理由】

1.患者数が多く診察を長引かせるのが申し訳ない
2.見当はずれなことを質問して、疲れている先生をがっかりさせたくない
3.今の悩みと昔からあることが繋がっているために、ひとつの悩みを相談しようとするとそれだけで長くなってしまう。
4.うつの原因でもある"神経発達症(発達障害)"という治らないものに対して半ば諦めている、どうしようもないとこれまでの実感で思い知っている
5.子供時代(10歳前後)から死にたかったので、今更死にたいんです、と言ったところで変わらないと思っている
6.他人に期待をしていない・治してもらえるとも思っていない・傷病手当のためにきちんと通院してるだけ
7.毒親の話をしても、今の状況と離れて暮らしている親とは無関係なのではないかと思ってしまう
8.先生のちいさな言葉の矛盾などを一生覚えているために、先生へ絶対的な信頼というものがない


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とりあえずは来週の診察のときに、聞きたいことを一覧に書き出したリストを持っていって、その日のクリニックの混み具合や先生のしんどさ、わたしのメンタル状況からして今日話すとよいテーマを先生に選んでもらって聞くというふうにしてみようかと思う。
それならばクリニックの状況にも合わせられるし、わたしの疑問も解決する。

これまでの人生の出来事をホワイトボードに書き出してみたらわかりやすくうつの時と躁の時が順番に来ていて面白かった。綺麗に描き直してスマホに写真を撮っておいて、先生に見せてもいいかもしれない。

ADHDで忘れていたけれどなかなかにクレイジーなことを力技でねじ伏せてきたことを思い出した。ADHDと躁鬱も関連性があることがわかってきたと主治医は言う。わたしが散財したり過活動になっている話を相談すると「躁っぽい感じか…」と呟くので双極性障害Ⅱ型とかの疑惑が浮上している。

相変わらず生存しておりますという報告と、今の悩みについてつらつら書いた日記でした。
あと、コンサータで食欲減ったので痩せて、160cm45kgのガリガリ体型になりました。まずい、食べねば。最近は食事を忘れないで食べるということが目標です。
それではまた、脳内多動が酷くなったら更新します。だらだらとした駄文に最後までお付き合いいただきまして、ありがとうございました。


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