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【うつ】どん底だった17~18の頃

1日中眠く、目を瞑ればいつでも眠れた。

母の些細な言動に対してついプチッとキレてしまう。怒鳴り返し、家の椅子をぶん投げたり、母の大事なものに落書きしたり隠したりした。

首や肩が凝って仕方なかった。小さい頃から常にある片頭痛も治らなかった。ロキソニンも効かなくなっていた。

いつも喉元が苦しく、息がしづらかった。常に喉の奥に何かがつかえている感じがしていた。のちに、主治医にそれはヒステリー球と呼ばれるものだね、と教えてもらった。

指の爪は手も足も20本すべてちびていた。その周辺の皮膚までむしり取っていつも血が出ていた。

髪の毛や眉毛を抜く癖が酷くなっていた。ところどころハゲ始めるとまつ毛までやるようになった。

死にたかったが、周りに迷惑をかけずに死ぬ方法がわからなかった。手首を切ってお風呂に浸かろうとした。
これで死んでしまえば賃貸のこの家が事故物件になってしまうこと。失敗したらおそらく病院に拘束されるのではないかと思って切れなかった。こんな時にまで後先を考えてしまう自分が悔しかった。
手段を選ばず家を出てやるなら、風俗の仕事ならあと2年でできるようになる。その時にリスカ痕があれば商品価値が下がって不利だろうと思った。家を出られるその時までは切っちゃダメだと思った。こんな時まで感情的に切れない自分が恥ずかしく、ずる賢い冷静さを持っていることに絶望した。

死にたいと言っていたら父の弟(叔父)が統合失調症で20歳で自死していたことを母が打ち明けてきた。もし、わたしが死んでしまえば父は弟と娘を自死で亡くすことになってしまう。これでわたしは余計に死にづらくなった。

死んだあとのことを考えた。妹は学校でどうなるだろうか。母の共依存からまだ抜け出せていない妹はわたしが死ねば色んな意味で苦しむんじゃないか。父だけじゃなく、わたしの少ない友人らはどう思うのか。一生嫌な気持ちを彼らにさせてしまうのかと思った。そんなことしたくなかった。でも生きていたくもなかった。跡形もなく消えることができますように、とただ思っていた。

体温調節ができなかった。夏は汗をいくらかいても暑く、冬はいくら着込んでも、レッグウォーマーやアームウォーマーを着けていても寒くて震えていた。

いつも身体が心に追いつかなかった。バラバラだな、と思いながら過ごしていた。脳死のまま受けたセンター試験は見事に滑っていた。国公立の出願は諦めた。

薬にまだ慣れ切らないまま、私立の受験日が来た。得意な文系3科目は楽勝で解けた。終わって、見直しを済ませても時間が余ったので机に突っ伏して寝ていた。とりあえず進学先はできただろうと思った。予感は正しかった。

これまでも大事な場面でだけ、変に運が強かった。ここぞ、という場面ではいつもうまくいってきた。今回もそれだなと思った。
実家から1000km以上離れたところにいれば、毒母もわたしの部屋まで来られまいと思った。体力がなかったので内見もせず部屋を決めた。
記憶がおぼろげながらに家を出られることが幸せすぎて泣いた。

家を出られるハイテンションなまま、父と母に手紙を書いた。最後の親孝行だと思った。一生懸命いい子の手紙を演じた。

これでやっと母との泥沼生活を捨てられる、と思っていた。

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