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【毒親】【発達障害】「能力と試練は比例する説」

こんばんは。元気になったはいいが潔癖&花粉症で外に出られないonemuです。コートや鞄に花粉がついて、それを家に持ち込んでしまうのが嫌で結局引きこもってしまいます。
さて、今回はつらい試練は乗り越えられる人のもとにやってくる、的な考え方への怒りだけで書いています。嫌な思いをされる方もいるかもしれません。先に謝罪しておきます。すみません🙏

わたしが大っ嫌いな言葉に、「神はその人に乗り越えられる試練しか与えない」的なものがあります。最初に何かの本で見かけたときはイライラしてページを破り捨ててしまいたくなりました。
なぜかというと、わたしには統合失調症を乗り越えられず自死した叔父や、与えられたベリーハードモードな人生で病み散らかし、娘をはじめ周囲の人間に害を与え続けている毒母が身近にいるのです。そんな人間の血を引き継いでしまった罪深い身としては「んなわけあるか!」と思っています。
自分で生まれたいとも思ってないのに勝手に産み落とされて、しかも脳みそに異常ありという劣等遺伝子を受け継ぎ、親ももちろん劣等種なのでさらに脳に悪影響な育て方(精神的・身体的虐待・ネグレクト)をされました。これが乗り越えられるから与えられただと?とっくに絶望して死んでいてもおかしくない程理不尽な仕打ちです。

例えば、頭がいいばかりに進学先のレベルもだんだん高くなり、結果的に優秀な同級生と比べて自分はなんてダメなんだと思ってしまう、ということならこの説が通用すると思います。または、顔がいいばかりに異性関係でいざこざが起きて恋愛が嫌になってしまう、それもわかります。
わかりやすく価値の高くみえる部分があるひとには、それを持たない凡人からのやっかみに耐えることや、同じくらいのハイレベルな人間たちのなかで競争しなければならない、というキツさがあるからです。

生きていて試練のない人間などいません。ただ、その試練の難易度なんて人によります。逆境に強いかどうかは、その人の生まれ持った繊細さや身体の丈夫さや、脳の傾向だけでなく、生育環境や親との関係、親の情緒の安定なども欠かせません。
努力でどうにもカバーできないこともあるとわたしは考えています。なぜなら、わたしは24年の人生で常に上を目指し努力し続けてきたと胸を張って言えるからです。わたしよりもストイックに自分に厳しくやってきた人がいたとしても、わたしと同じ条件に生まれていたら努力し続けることを諦めます。

発達障害由来でメンタルを病んだときは自分が悪いと思いがちです。でも、違います。自分の力ではどうしようもないこと、生まれる前から脈々と受け継がれている遺伝要因なんかはまさにそうですが、理不尽なことが事故のように、たまたまあなたに、降ってきてしまっただけなのです。

うつは甘えなんて、ADHDはサボりだなんて、言いたい人には言わせておきましょう。その人たちがわたしの脳みそで生活してみれば1日で違うということが明らかなのに。この脳みそをレンタルさせたい。わたしの脳みそを使ってのフルタイム勤務がどれほどの努力によって可能にしていたのか、それを体感して思い知ればそんな見当違い甚だしいことも言えなくなります。

こんなことを書いていても、あなたには言語能力があるじゃないか、ADHDではあってもASDやLDはないじゃないか、あなたは恵まれている、と思う方もいるでしょう。能力は諸刃の剣です。優れている分、他が凹みます。
わたしの場合、言葉に対する解像度が高いがゆえに、無理解な人間から言われたあらゆる言葉が心に刺さっています。刺さったまま時間が経って、錆びついた棘がたくさんあります。もう血も流れ尽くしました。今更抜こうなんて思わないし痛みなんて感じません。
わたしのADHDや毒母やうつが、もしわたしに乗り越えられるからこそ与えられたものだとしたら、それは書くことでしか昇華されないものです。書くことしかわたしには与えられなかったから、これからも書きたいと思っています。限界を迎えるその日まで。



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